漫画編集部舞台に自伝的小説 『編集ども集まれ!』藤野千夜さんに聞く

2017年09月28日

藤野千夜さん=東京都新宿区の双葉社で

「タイトルの文字も必見。実は、手塚治虫さんの書き文字、通称『手塚文字』を模したものなんです」と藤野さん

カレー色(!?)の装画を広げて縦にすると、「青雲社」のフロアごとの様子が描かれているという仕掛け。編集部員たちの中に、なんと鉄腕アトムと手塚治虫さんが紛れている。遊び心が楽しい1冊だ

 芥川賞作家・藤野千夜さんの新作『編集ども集まれ!』(双葉社)は、出版社の漫画編集部を舞台にした、藤野さんの自伝的長編小説だ。「ずっと封印していた過去」を綴ることになった思い、物語の中にあふれる漫画愛について語ってもらった。

■「エピソードは実話」

 1985年、中学校から大学まで漫研で過ごした小笹一夫は、中堅出版社「青雲社」の青年漫画誌編集部で働き始める。キャラの濃い上司や先輩にもまれ、人気漫画家たちの薫陶を受け、編集者として成長していく。着々と仕事をこなしながら、しかし、小笹は少しずつ女性の姿で出社するようになり――。
 「青雲社という社名とそこで働く社員たちは仮名ですが、私自身のことを含め、エピソードはほぼそのまんま。実話です」
 これまでは自分に直接的に関係のある話を書くことを避けてきた。その藤野さんがなぜ今回、「そのまんま」の自伝的小説を手がけたのか。きっかけは、2年前に出した『D菩薩峠漫研夏合宿』だ。男子校の漫研の夏合宿で繰り広げられる男子同士の甘酸っぱい恋愛模様がおもしろおかしく描かれている。これも藤野さんの経験を元に綴った作品だ。
 「30年以上も前のことだし、合宿の1週間の話だし、それなら書けるかなって」
 その小説を読んだ知り合いの編集者から「とてもおもしろい」と称賛の声が届いた。さらに「ぜひ出版社の話を連載してほしい」とも。その依頼に、藤野さんは即答できなかったという。
 「正直、出版社で働いていたころのことは封印し、思い出さないようにしてきた。私の中ではまだ生々しく、書くのは難しいかもと思ったのです」
 それでも書くことを決め、まもなく連載が始まるというとき、「勘違い」が発覚する。編集者は単に出版社の小説を書いてほしかっただけで、自伝を求めてはいなかったのだ。
 「じゃあこれ、どうしよう? って(笑)。自分のこととは関係のない明るい出版社物語に路線変更する案も出たのですが、きっとおもしろい話は書けない。覚悟は決めていたので、やはり自分の話を書こうと思いました」

■現在と過去を往復

 物語は、小笹が漫画編集部で働き始めたところから、会社をクビになり、やがて作家として芥川賞を受賞するまでの「過去」と、小説の連載が始まった2015年からの「現在」とを、行ったり来たりしながら進んでいく。「現在」では、「笹子」となった主人公が、小笹時代からの親友アダっちとともに出版社があった「神田J保町」を訪れ、ゆかりのあった場所や店を訪れる。J保町、すなわち神保町に藤野さんが足を運んだのは、なんと20年以上ぶり。会社を辞めてから近寄ることができなかったという。
 「この小説を書くための取材として恐る恐る行きましたが、結局会社に顔は出せなかった。ほとんどは、ただカレーを食べて帰りました(笑)」
 実際、作中で笹子とアダっちはやたらとカレーを食べている。なんとそれにデザイナーがインスパイアされ、装丁が黄色になったとか。
 今でこそセクシュアルマイノリティーや性同一性障害に関する情報も多くなったが、小笹が笹子になっていった90年代初めは、認知も、ましてや理解などほとんどされなかった時代。それでも笹子=藤野さんは本来の自分として生きようと少しずつ勇気を出し、スカートに見えるワイドパンツをはき、やがてメイクやネイル、ピアスもして出社するように。
 「比較的ゆるい会社だったからできた部分もあったけど、うーん……今思えば、やっぱり自分を偽ることに我慢ができなかったのかもしれないですね」
 主人公が抱える性の違和感への悩み、そこから起こる顛末は重要なエピソードだが、しかし、それは物語の一つのピースにすぎない。とにかくいろんな話がてんこ盛りなのだ。

■漫画家との逸話も

 漫画ファン垂涎の的は、人気漫画家とのエピソードだ。かの梶原一騎さんから誤植のクレーム電話を受けてオロオロしたり、あの岡崎京子さんとピクニックを楽しんだり、なんと中崎タツヤさんが実家の最寄り駅まで原稿を届けてくれたり……。編集者だからこそ知る漫画家たちの素顔が垣間見られる逸話がそこかしこにちりばめられている。
 また、作中の2章にわたり、笹子は中学時代から敬愛する手塚治虫さんにまつわる場所、トキワ荘や手塚プロダクションを「聖地巡礼」している。「『手塚先生愛』が再燃して、改めて作品を読み返したり、グッズを買いあさったりしちゃいました」と藤野さん。タイトルの『編集ども集まれ!』も、手塚ファンならピンと来ただろう。手塚さんの作品『人間ども集まれ!』へのオマージュなのだ。
 そんなこんなで、笹子を取り巻く様々な出来事、仲間との友情、あふれる漫画愛、さらにバブル時代の出版業界や神保町の新旧風景など、いろんなネタがおもちゃ箱のように物語の中に詰め込められている。こうした構成にした思惑を、藤野さんはこう告白する。
 「編集者の仕事の話やカレーを食べてる話がなんでこんなに多いの? と思われるかもしれません。『私が会社をクビになった理由』という筋立てにすればもっと読みやすいでしょう。でも私は、私の周りで起きたいろんな話を、同じ比率、同じテンションで書きたかったんです」
 作中、自分の話を書くことに迷う笹子に言い放ったアダっちのひと言が心に残る。
 「生きてるうちに全部書いちゃいなよ」
 このひと言でどこか解放されたであろう作者の自伝は、仕事や生き方に悩む若い読者にも、人生の来し方を振り返る大人にも、不思議な応援歌として響くに違いない。
(文・写真・中津海麻子)

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