95歳で長編「いのち」 瀬戸内寂聴が語る

2017年12月06日

長編小説『いのち』を手にする瀬戸内寂聴さん=槌谷綾二撮影

 女性の強さや恋を書いてきた瀬戸内寂聴さん(95)が、最後の長編小説という『いのち』(講談社)を出した。ともに芥川賞作家でもある2人の女性、大庭(おおば)みな子(1930~2007)と河野多恵子(1926~2015)との思い出を中心にした自伝的小説だ。先月末に京都・寂庵(じゃくあん)で開いた記者会見で、書くこと、生きることを語った。

 ――『いのち』では、今までに書けなかったことを思い切って書いていますが。

 最後の長編小説と思っていますし、2人は日本文学史に必ず残る。少なくとも私が一番知っているから、何でも書いておくことが後の研究に役に立つと思いました。

 ――いのち、というタイトルはすぐに決まった?

 小説を書くということが私の命ですからね。2人も、何が大事かというと小説を書くことだった。最初は自分のことも『いのち』に入れるつもりでした。2人が強いから、だんだん2人のことになってしまった。あの2人の命は、ただごとではない。

 ――本の中のエピソードは真実ですか?

 フィクションは、ほとんどない。会話も、おこなったことも、そのまま。真実の小説です。

 ――2人はライバル?

 本当のライバルでした。でも2人とも私のことはライバルだと思っていない。自分のほうが偉いと思っていた。でも自分のことをわかってくれている少ない人だと思っていたんじゃないかしら。

 ――95歳の長編小説なんて、ほかに聞きません。

 95、95って言っていますけど、自分は95って思っていない。そんな風に思っていたら書けないですもんね。

 ――戦後の文壇における女性の地位をどう思いますか?

 男性が2階のいい部屋で書いて、我々女の小説家がおひつの上で書くなんて、今はありませんよね。むしろ女の小説家と結婚した男性は左うちわになるんじゃないですか。私たちのときは、女の小説家といえば器量が悪いってことだったんですよ。今は、みんなきれいで器量がいい。

 ■「家族」の小説も

 ――今後、短編小説も書かないですか?

 そんなことないですよ。いくらでも書きます。でも体力が昔と違う。遅くなった、書くのがね。頭は、そんなにぼけていないんですけど。

 ――体力がもてば長編も書きますか?

 編集者は「まだ書ける」とおだててくれる。でも、今は体力が続かないんじゃないかな。昔は2日も3日も徹夜できた。今は徹夜したら、次の日はぼけていますからね。

 ――まだ書きたいものは?

 一つあるんです。家族のことを書いていないんですよ。

 ――秘書の瀬尾まなほさん(29)が初めての本『おちゃめに100歳! 寂聴さん』(光文社)を出しました。

 彼女は文才があります。文章が自然で、うまい。よく書こうじゃなくて、自分の思うままに書いている。66歳の年の差があって異邦人といるような感覚。とてもおもしろい。だから私は若いんです。

 ――『いのち』の最後に、「小説家でありたい、それも女の」と書いてあります。

 男と女を比べると女のほうが得。男のほうが単純よね。女のほうが複雑で、その分余計に生きている気がして、おもしろい。

 ――小説家とは?

 宇野千代さんが「小説家は、パン屋がパンを売るように、八百屋が青物を売るように、そんなもので、特別なものじゃない」とおっしゃった。私は、小説家はパン屋や八百屋と違うと思う。

 ■今度生まれたら

 ――どういう点が違う?

 パン屋や八百屋は物を仕入れ、元値より高く売る。でも小説は、損をしてでも書かなきゃならない。損をしたときに、いい小説ができる。小説家は精神が伴った仕事。精神が伴うことは心が傷つく。それでも書かなきゃならない。

 今度生まれたら小説家になりたい。本当に小説家になりたい。好きなの、小説が。尼さんはもうわかったから今度はなりません。それで、男よりも女のほうがいい。ずっと男の何倍か深い一生を送れるんじゃないかな、女のほうが。

 (岡田匠)

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