無限の前に腕を振る 中也の詩 3.11後の心救う

2011年09月30日

29歳の中原中也

辺見庸

佐々木幹郎

 〈風が立ち、浪(なみ)が騒ぎ、/無限の前に腕を振る。〉――81年前に書かれた中原中也の詩の言葉が、東日本大震災を目の当たりにした詩人たちの心をつかんでいる。
 その一人は、佐々木幹郎(63)だ。中也の故郷・山口市で、18日にあった講演会「詩のことばは、何を救うか?」などで、この体験にふれた。
 東京で暮らす佐々木は、3.11以後の不安と恐怖のなかで詩を書き、自分の詩に絶望する。「半世紀近く書いてきたのに、あの惨状を表現する言葉がなく、情けなかった。本能的に技術でまとめようとしているのも嫌でならなかった」
 ふいに長詩「盲目の秋」の冒頭が心に浮かび、新しい顔を見せる。「そうか、今は無限の前に腕を振るしかないと、中也の言葉に救われる思いがした。中也は東日本大震災を体験して書いたのでは、と錯覚するほどだった」。『新編中原中也全集』の編集委員を務めた佐々木が、改めて中也の詩の普遍性に驚いた。
 「盲目の秋」はこの後、〈その間(かん)、小さな紅(くれなゐ)の花が見えはするが、/それもやがては潰れてしまふ。〉とつづく。もちろん大津波を表現した詩ではない。22歳の中也は、愛する長谷川泰子に去られ、喪失の苦しみを切々とうたいあげた。発表の8カ月後、泰子はほかの男の子供を産み、中也が名づけ親になる。
 そんな生々しい人生の物語は昇華され、静けさをたたえた永遠の喪失感が、3.11を経た人の心をやさしくつつむのだろう。詩の力は不思議だ。
 8月に佐々木は、地盤沈下したままの宮城県気仙沼市を取材で訪れ、夕日を見ながら思った。「中也はすごい。本当にまいった。この光景を前にしたら、あの詩の言葉以上のものはない」
 3.11以後、詩の朗読会の雰囲気が変わったのを佐々木は感じる。本当の言葉を求め、聴衆が聴き耳を立てる。これほどこわい批評者はかつてなかった。
 「震災以前からとうに、私たちは言葉から見捨てられていたのではないか。あまりに安易に使ってきたために。がれきのなかから言葉を探しだしたい」
 詩文集『生首』で4月に中原中也賞を受けた辺見庸(67)も、3.11の惨状に「盲目の秋」を重ねあわせている。辺見は深い心労から贈呈式を欠席し、こんなメッセージを寄せた。
 〈無残な映像のみが次から次へとつきつけられるのに、危機の深さと意味をかたり、わたしたちのたましいの居場所をおしえることばがないのです。つらいことです。言葉はいま、現実のできごとにあらかたおいていかれています〉
 故郷の宮城県石巻市を襲う大津波の映像を初めて見たとき、〈風が立ち、浪が騒ぎ、/無限の前に腕を振る。〉という言葉が、体の奥深くから自然にわいてきた。あの光景にこれほどふさわしい詩の表現を、辺見も知らない。
 その後、連作「眼(め)の海――わたしの死者たちに」27編を「文学界」6月号に発表するなど、辺見は詩を書きつづける。無限の前に腕を振るように。(白石明彦)

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