カズオ・イシグロが語る「ホームズ・谷崎・プルースト」

2015年07月18日

 54年、長崎生まれ。5歳で英国へ。『遠い山なみの光』で英王立文学協会賞。映画化された『日の名残り』『わたしを離さないで』や、近刊に『忘れられた巨人』=郭允撮影

アーサー・コナン・ドイル著『バスカヴィル家の犬』(深町眞理子訳、創元推理文庫・778円)

ジェーン・エア

失われた時を求めて

細雪

 谷崎潤一郎著『武州公秘話』(中公文庫・802円)

 デイヴィッド・ミッチェル著『クラウド・アトラス』上下(中川千帆訳、河出書房新社、各2052円)

■カズオ・イシグロの本棚
 日本生まれの英国人作家で「世界文学の旗手」でもあるカズオ・イシグロ氏が来日した。自身の人生や作品に影響を与えてきた本について語った。
■出会いは「しゃあろっく・ほうむず」
 子供の頃、私は決して読書が好きではありませんでした。もし、シャーロック・ホームズがいなければ、読書をすることもなかったかもしれません。
 ホームズを初めて知ったのは日本語で。9歳か10歳の頃でした。母が『まだらの紐(ひも)』を読んでくれたのです。怖くて、数日間、眠れなくなったのですが、なぜかまたすぐ読みたくなって図書館に行き、英語でも読むようになりました。「ホームズ中毒」になったことで、未熟だった私の英語は、ホームズやワトソンと同じ「ビクトリア朝」になってしまいました。「Pray be seated(訳例=まあ、かけてくれたまえ)」とか「My dear fellow(同=貴君)」とか。友人たちは、話し方が妙なのは日本人だからだと思っていたようです。
 ホームズは私の日本の子供時代と、イギリスでの子供時代の間を不思議な形でつなぐかけ橋になりました。私の中には今も、日本語で読む日本人の“しゃあろっく・ほうむず”と、英語で読むイギリス人のホームズの2人がいます。いずれにせよ、名作だと思うのは、『バスカヴィル家の犬』ですね。
 次に影響を受けたのは、シャーロット・ブロンテ『ジェーン・エア』。10代後半に読んだ時、なぜか、自分も作家になるかもしれない、という可能性を初めて感じたことを覚えています。つい最近、読み直したのですが、一人称の使い方など、いかに彼女から多くのことを「盗んで」きたかを実感しました。
 『ジェーン・エア』も、もう一つのブロンテの名作『ヴィレット』(自伝的小説)もそうですが、主人公は一人称で語ります。読者に対して、多くのことを明かしているように見せかけて、実は主人公がなんらかの感情が原因で、巨大な秘密を隠していることがわかっていく形になっています。たとえばジェーン・エアは誰を、どのくらい愛しているかを、読者に決して言いません。隠し続けることによって、気持ちが読者に伝わるようになっていく。このような「一人称」は私が多くの作品で使っている手法ですが、実はブロンテから学んでいたものだったのです。
 プルーストの『失われた時を求めて』からも多くを学びました。これはとても長い作品です。大学にいた時、授業で読まされてはいたのですが、当時は読みながら寝てしまうほど退屈だと思っていました。
 でも、小説家になって、デビュー作を書いた直後に、この本を読んで、「物語を語るための、すばらしい技術が隠されている」と気がつきました。
 ちょうどその頃、私はテレビの脚本も書いていて、そのせいか、自分の小説がどうも脚本のようだと感じていました。この本を読んで、「テレビと同じような本は、必要ない」とわかった。そして、次に小説を書くときは、小説ならではの強みを生かした、こういう本にしよう、と決めました。
 それで、序章と「コンブレー」(第1篇「スワン家の方へ」の第1部)を特に子細に読み、観察していきました。この本は、まるで抽象画や、コラージュ作品のような本と言ってもいいかもしれません。ある一つのイメージから、次のイメージへ。一つの記憶から次の記憶へと、自由に物語をつむいでいくよう。それによって、ただプロットを追うよりも、はるかに自由で、大きなことができるようになるのです。「記憶」は、語られる「対象」としてだけでなく、物語を語る「形式」にもなりうることを学びました。一番好きな作家とは今も言えないのですが、間違いなく、多大な影響を受けた作家です。
 谷崎潤一郎を読んだのは20代の頃。それまでは、ボブ・ディランの音楽などアメリカ文化が好きで、日本文化にはあまり興味がありませんでした。でも、ある時、ふいに日本について書いてみたくなり、日本の映画や本に触れるようになりました。
 今でこそ、英国でも米国でも村上春樹さんの本は、信じられないほどに人気ですが、当時英語で読めた日本の作家は三島由紀夫、川端康成と谷崎くらいしかなくて。その中で、一番響いたのが谷崎でした。
 『細雪』は、ジェーン・オースティンのような「家族小説」で入り込みやすかった。でも、私は谷崎のもう一つの顔にも引かれました。『武州公秘話』などのような倒錯的で、奇妙で、官能的な側面です。
 とても独特で、とても個人的な「谷崎さんの日本」を知ることで、日本への扉が開いたような気がします。そして、私も、日本を舞台にして、私なりに個人的で日本的な世界を創り出してもいいのだと自信を持てるようになりました。でも、彼の作品からは影響を受けていないとも思います。いずれも素晴らしい作品で、尊敬していますが、ただ、自分とはかけ離れた世界だという気がします。自分に近いと感じられた日本の作品は、村上春樹さんの小説が初めてでしたね。
 時空を超えた六つの物語を絡み合わせたSF『クラウド・アトラス』で知られる、デイヴィッド・ミッチェルの作品にも影響を受けています。45歳くらいの時、初めて彼の作品を読みました。おろかにも当時、まだ自分は「若い作家」だと思っていたのですが、「輝かしい『新世代』が、もう自分の後ろにいるのだ」と気がついたのです。
 新世代の作家は「SF」や「エンターテインメント」といったジャンルをやすやすと超えています。彼らを知ることで「ある一定の分野しか書けない」といった偏見を捨て“リベラル”になりました。SF的な『わたしを離さないで』や、ファンタジー的要素もある『忘れられた巨人』を書くことができたのは、彼らが私を解放してくれたおかげなのだと思っています。(構成・守真弓)
     ◇
 54年、長崎生まれ。5歳でイギリスに渡り、英国籍を取得。長崎などを舞台にした『遠い山なみの光』で英王立文学協会賞。映画化された『日の名残り』(ブッカー賞)や『わたしを離さないで』のほか、近刊に『忘れられた巨人』。

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