創作の原点、じっと見つめる 西村賢太連作短編集

2017年03月08日

西村賢太さん

 短気で粗暴で小心で、どこまでも孤高で潔癖な流行外れの私小説作家、北町貫多。この強烈な個性を持つ分身を通し、ユーモアたっぷりの小説を紡ぎ続ける西村賢太さん(49)が、連作短編集『芝公園六角堂跡』(文芸春秋)を出した。大正期の作家・藤澤清造への敬慕と、自らの作家としての原点を凝視する一冊だ。

 2015年冬。新人賞で有名になってから数年が経った貫多は、あるミュージシャンのライブに招待され、東京タワー近くのホテルで華やかな一夜を過ごしていた。だが、浮かれながらも心のどこかにある引っかかりを自覚している。帰り道、おもむろに独り足を向けた先は、彼が「歿後(ぼつご)弟子」を自任する藤澤の絶命の地。不義理にも何年か足が遠のいていたこの場所で、作家として初心に思いをめぐらせる。

 徹底的な自虐的露悪がユーモアに転じるおなじみの作風は影をひそめる。「誰にも読まれなくていい。自分だけのために書いた」。芥川賞から6年。強烈なキャラクターでテレビにも出演し、名声も金も手に入れた。だが、創作については「ここで暴言を吐いたらウケるか、と金銭欲と名誉欲が働くようになり、書くことに以前のような楽しみを感じなくなっていた」と振り返る。ずれてしまった「支柱」を取り戻すため、徹底的に内面を掘り返していく。少しの自己欺瞞も見逃さないその掘削の態度は、求道的ですらある。

 人生のどん底で藤澤という孤高の作家に救いを見いだしてから20年。藤澤への思いは「プリミティブ(原始的)な思慕」であり続けるという。

 私小説という表現形式への誤解と偏見は、いまだに根強いが、「復権を目指す」という大それた気負いはない。「外国かぶれと前衛気取りは、私小説を大いに馬鹿にして欲しい。それを逆手にとってやっていく」のが身上だ。

 藤澤全集7巻と伝記の編集を歿後弟子としての最終目標と掲げるが、目下先延ばし中だ。「それをやったら、小説を書けなくなるような気もする」のが正直なところだという。自分を生かしてくれた「私小説」という一本道は、細く長く、まだ先に延びている。

 (板垣麻衣子)

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