戦争と震災、とけあう 古井由吉「ゆらぐ玉の緒」

2017年04月12日

時と空間がゆらぐ感覚について話す古井由吉さん=東京・世田谷

 作家の古井由吉さんは近年、過去と現在がおぼろげにとけあうような、独特の感覚で作品を紡いできた。新刊『ゆらぐ玉の緒』(新潮社)で繰り返し現れる「過去」は、1945年の東京大空襲。そして「現在」の側には、おそらく2011年の東日本大震災がある。

 随筆風というのか、随想風というのか。8作の短編は、作家自身の日常を淡々と書きつづるようにして始まる。

 「あくまでも日常を軸にして書くことに決めたんです。日常を書いているうちに、だんだんストーリーができてくる。そのストーリーを作品のうちに包んでしまう」

 終戦から十数年後の酒場でのやりとりが、今そこでかわされているかのように描写される「人違い」。米軍機の爆音と、編隊が去ったあとの柱時計の音が、耳もとによみがえるような「時の刻み」。いずれも戦争にまつわる出来事が、今そこにあるもののように描かれる。

 「まず日常をたどって書いていく。そうすると、過去がつぶさによみがえる。大震災のときから、それが著しくなりました」

 東日本大震災は3月11日。東京大空襲で当時の本所、深川両区などが焼けたのも、3月の同じ頃だった。「震災を思うにつれ、過去が引き寄せられてくる。そういう癖がついてしまって」。空襲の炎と震災の混乱。半世紀以上の時を隔てたふたつの事象が、対置されるように繰り返し現れる。

 「時間というものが、過去現在未来という一直線の流れじゃなく、混ざったり集まったりしてるように感じることがあるんです」。時間だけでなく、空間や場所という概念も、古井さんの小説のなかでは時にゆがみ、混ざり合う。

 「僕は少年期に家を焼かれたせいか、突然今自分がどこにいるかわからないような、空間という自明のものが見慣れないものに見えてくることがある。大災害で窮地に追いこまれた人間は、空間と時間が壊れてしまうんじゃないか。そう思ってしまう」

 書名の「玉の緒」とは、魂を体につなぎとめる緒。「ゆらぐ玉の緒」とは、人間の精神が固定されず、ゆらゆら揺れ動いている状態をさす。その「揺らぎ」はおそらく、地震の「揺れ」にも通じるのだろう。

 「地面が揺るぎないからこそ、空間が安定する。でも人はやっぱり、安定してるように見えることも実ははかないということをふまえて生きる必要がある」と古井さん。「人間には、揺らいでいるときじゃないと見えてこないものがあるんじゃないか」

 今年、80歳になる。「もうひとしきり書きたい気持ちがあるんです。年をとって書くのに時間がかかるし、ちゃんと書いているのか不安になる。でも、そういう書き方じゃないと出てこないこともあると思うんです」

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