ベルリンの心、十通りの眺め 多和田葉子「百年の散歩」

2017年04月19日

多和田葉子さん=東京都

 ドイツ在住の作家、多和田葉子さんが、自身が暮らすベルリンの風景を物語にした『百年の散歩』(新潮社)を出した。自由で孤独な「わたし」が、10の通りからベルリンの四季と歴史を眺める短編集だ。

 ローザ・ルクセンブルク通り、カール・マルクス通り、プーシキン並木通りなど、一編一編、ベルリンに実在する通りの名を冠す。待ち合わせにやってこない「あの人」を待ちながら、当てもなく街をそぞろ歩きする主人公は、うっかり贈るあてのない花束を買わされたり、調子外れのお店でおいしくないバナナケーキを食べるはめになったり。通りの「主」である作家や思想家たちと、空想の中で自在に繰り広げられる対話は、街が背負った20世紀の歴史的地層をほどいていく。

 1982年にハンブルクに移住し、ベルリンには2006年以来、10年以上暮らす。「ヴァルター・ベンヤミンによると、目的のない街歩きが生まれたのは、ショーウィンドーが現れた20世紀からだそうです。彼のパリについての考察をヒントに、ベルリンを舞台に書いてみたかった」という。

 物価や家賃が比較的安く、世界中の若いアーティストをひきつける国際都市、ベルリン。「グローバル化で世界中の都市が似た街になってしまった時代に、この街ならではの雰囲気を残そうというのがベルリン市民の常識なんです」。ネオンを拒む夜の街並みは薄暗く、社会主義が残した建築は、パリやロンドン、ニューヨークにはない個性を街に与える。

 言い間違いや誤変換を逆手にとる多和田流の言葉遊びは、本書でも随所に光る。「幼児のときから、意図的に、あるいは間違えて言葉づかいをずらしたときに、大人たちがわっと驚くのが楽しかった」。その愉悦は、長じて獲得したドイツ語の中で発火した。「外国語を習うときに、正しく効率的にという考え方は嫌なんです。間違っていても面白い言葉づかいを探っていきたい。それが言葉の社会性から、個人を取り戻す抵抗にもなる」

 長く暮らすドイツだが、異邦人としての皮膚感覚は、平和な街にひそむ潜在的な危機の気配をとらえ、読後感はうっすらと心もとない。欧州では英国がEU離脱を決め、フランス、ハンガリーでも右派政党が伸長する。

 混迷を極める時代に、小説ができることはなにか。「小説は社会のコミュニケーション、すなわち近代民主主義の基礎をつくっていると言っても過言ではない気がする。小説なくして民主主義なしと、言い切ってしまいたいですね」

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