少女たちが語る少女たちの物語 松浦理英子の長編小説

2017年07月05日

松浦理英子さん=加藤夏子撮影

 松浦理英子さんの久々の長編小説『最愛の子ども』(文芸春秋)は、友情とも恋愛とも割り切れない関係で結ばれた少女たちの物語だ。自分が何者なのか、自分でもまだ理解していない少女たちの、悲しみと欲望が交錯する。

 女子高校生3人を、同級生たちは「ファミリー」と呼ぶ。日夏がパパで、真汐がママで、そして空穂が王子様。
 時に親子のようなやさしさが、あるいは時に性愛のようななまめかしさが、3人の間には漂う。「同性愛的なものというより、家族にもあるようなふれあいの先にある、あいまいな欲望を描きたかった」と松浦さんは言う。
 教師や親、あるいは男子生徒がもたらすさまざまな抑圧や屈辱が、3人の日常に次から次へと押し寄せる。女子高校生たちを抑圧する親だけでなく、性の問題をめぐる社会の固定観念と闘ってきた親たちの姿も描かれるのが印象的だ。
 「どんな親でも、ある程度子どもを支配してしまう部分はある」と松浦さん。「でも親は、いざというときに絶対に子どもの味方になるという愛情を示すこともある。よい面と悪い面が重なっているということを書かなければいけないと思ったんです」
 この小説の語り手は、同級生の「わたしたち」。ある箇所では「わたしたち」から見た3人が描かれ、またある箇所では、「わたしたち」が知り得ない3人の振る舞いが「妄想」という形で語られる。
 「語り手がすべてを把握しているという形はいやだった。物語や伝承とは古来、社会が自分たちの欲望を投影して作ってきたものなので」。強者が自分たちの意に沿う形で弱者を描く構図への批判をこめて、少女たちが少女たちを語る形をとったのだという。
 「物語を語るということは、どうしても語り手の欲望に合わせて語るということになる。その暴力性を少しでも和らげたかった」。子どもを抑圧してしまう親たちを描きながら、松浦さんは小説家である自分自身、誰かを抑圧する立場にまわっていないかと自戒しているのかもしれない。
 物語の終わり、少女たちを待ち受ける未来の険しさを強調するような描写は、厳しさと優しさの両方がにじみ出すような深い印象を残す。
 「人生の苦しさを知る世代として、子どもたちの世代に何かを手渡したいという気持ちがあって」。自身もまた親の世代の立場から少女たちを見つめていることが、この物語に厚みを加えているのだろう。
(柏崎歓)

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