ゾンビ、考察本も増殖中 作品の歴史・表現検証

2017年08月02日

ハロウィーンの日にゾンビの仮装で「スリラー」を踊る来園者たち=昨年10月、大阪市此花区のユニバーサル・スタジオ・ジャパン

ゾンビ像の変遷

 映画や漫画、ゲームから現実社会のイベントまで、増殖し続ける「ゾンビ」について考察する書籍が相次いで刊行されている。なかでも、奈良県立大准教授の岡本健(たけし)さん(34)の『ゾンビ学』(人文書院)は「世界初の総合的学術研究書」をうたう。人はなぜ、ゾンビを語るのだろう。

 腐った体でのろのろ歩き、本能のおもむくまま人間を襲うゾンビ。研究対象にしようとしたきっかけは、レンタルビデオ店だった。
 「いきつけの店に大量のゾンビ映画がありました。かなりハマったんですが、一方でくずのような作品が延々と作り続けられているのが不思議でした。人はゾンビ作品に何を求めているのか、探究してみようと思ったんです」
 ゾンビ「学」とあるが、ゾンビそのものへの言及は控えめ。多くのメディアをまたいで広がるゾンビ作品について、歴史を検証し、表現の違いを丁寧に読み解いていく。

■「群れ」の匿名性
 ドラキュラなどのモンスターと異なり、ゾンビは群れとして描かれることが多く、カリスマ性はない。むしろ匿名性こそが大きな特徴で、そのため、様々な社会事象のたとえとして使いやすいという。
 「人に敵対する恐ろしい存在でありながら、人の劣化版にも見える。年をとると誰もが動きが鈍くなります。私も体調を崩し、下を向いたままゆっくりとしか歩けなくなったとき、自分をゾンビのようだと思ったことがあります」
 岡本さんはもともと、映像作品の舞台を観光する「聖地巡礼」などコンテンツツーリズムを研究していた。正体不明のアニメファンが都会から大挙して訪れることに懸念を示していた地方のおじいさんが、孫のような女子高校生といつの間にかなごやかに話す様子をたびたび見てきた。
 「人はわからないものに対して、反射的に嫌だと思う好例です。そうしたところをゾンビ作品は延々考えてきた。ゾンビを考えることは自分を考えることであり、他者を考えることでもあるわけです」
 今後は、ハロウィーンなどの仮装でゾンビ姿が好まれるのはなぜかといった、現実社会とゾンビとの関係について考察を深めたいという。
 ゾンビはハイチにおけるブードゥー教に端を発している。魂の抜けた死体を呪術で動かす「生ける屍(しかばね)」。その名を題名に含むジョージ・A・ロメロ監督の映画「ナイト・オブ・ザ・リビング・デッド」(1968年)において、のろのろと歩き、人を襲うゾンビ像が生まれた。
 日本ではロメロの続編「ゾンビ」(78年)が、全国に熱狂的なファンを生み出していく。『ゾンビ論』(洋泉社)は公開時に少年だった3者による論考集。『ゾンビ映画大事典』の編者である伊東美和(よしかず)さんが、80年代ごろまでのゾンビ映画の流れを自らの体験も交えて記している。
 藤田直哉さんの『新世紀ゾンビ論』(筑摩書房)は83年生まれの評論家による論考。21世紀の文化作品で描かれる「足が速い」ゾンビや、2010年代の「美少女ゾンビ」の登場について、政治や社会、科学技術の変化と共に読み解く。

■小説テーマにも
 こうしたゾンビ史を織り込んでいるのが芥川賞作家の羽田圭介さん(31)の小説『コンテクスト・オブ・ザ・デッド』(講談社)。各地にゾンビが現れるようになった現代日本で、人々が生き残りをかけて右往左往する。人間とゾンビの境はどこにあるのか、考えさせられる一編だ。(野波健祐)

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