カズオ・イシグロの受賞 鴻巣友季子、松永美穂が語る

2017年10月11日

発表の瞬間、驚く鴻巣さん(右)と松永さん=5日午後8時、東京都中央区

■多様な言葉の営みに出会う

 今年のノーベル文学賞は英国の作家、カズオ・イシグロに決まった。長崎で生まれ、5歳まで日本で過ごした人気作家の受賞をどう見るか。翻訳家の鴻巣友季子さんと、ドイツ文学者の松永美穂さんが語った。

 (ネット中継でイシグロの名前が呼ばれて)
 2人 えーっ、びっくり。
 松永美穂 一昨年はベラルーシのジャーナリスト、アレクシエービッチで、去年はミュージシャンのボブ・ディラン。それに比べて、イシグロの受賞は本当に正統派だなと思いました。王道の作家にいったな、と。
 鴻巣友季子 そうですね。びっくりしたと同時に、正統派でほっとしました。イシグロはいつか受賞する作家だと思っていましたがもう少し先かな、と。
 英国の受賞者はこれまで、ドリス・レッシング(07年、最高齢の88歳で受賞)、ハロルド・ピンター(05年)、V・S・ナイポール(01年)で功労賞的な方々でした。イシグロは現役バリバリ。こんなに同時代感のある受賞者っていたでしょうか。
 松永 ドイツのヘルタ・ミュラー(09年)や、オーストリアのイエリネク(04年)は50代で受賞しました。2人ともバリバリと現代を批判するものを書いています。
 ――スウェーデン・アカデミーの今回の選択をどう受け止めますか。
 鴻巣 センスが良い。意表を突こうとしているのか、無意識なのかわかりませんが、今回の意外性は気持ち良かった。
 松永 でも英語圏が続きますね。私はアラブやアフリカなどもっと違う地域の作家を予想していたので、また英語圏で、しかもヨーロッパの作家か、と思いました。イシグロは良い作家ですが、英語の存在感がますます強まり、世界文学が英語中心に回っているように感じます。
 鴻巣 英語圏、続きますね。13年にアリス・マンロー。2人おいてボブ・ディラン。そしてイシグロ。カナダ、米国、英国と国はばらけていますが。
 ――イシグロの作品をどう読んできましたか。
 鴻巣 05年に『わたしを離さないで』が出たとき、衝撃的でした。近年のディストピア小説ブームの先駆であり、SFの要素を純文学に非常に早く持ち込んだ。カズオ・イシグロがSFなの?と驚きましたが、今考えればそれが必然だったとわかります。SFの要素を使わないとリアリティーを描けないことを、私たちは気づいていなかったけれど、彼は分かっていた。この作品で傑出して有名になりましたね。
 松永 私も『わたしを離さないで』は驚きました。『日の名残(なご)り』のようなノスタルジックな世界だけでなく、現実を先取りする世界も描ける人なんだ、と。先見の明を感じました。
 鴻巣 「ハリー・ポッター」シリーズのようにどーんと売れるのではなく、イシグロの書く作品の怖さ、真実味は10年、20年というスパンをへて、じわじわ浸透してきた感じがします。イシグロの翻訳は今は土屋政雄さんが一手にされていますが、初期は小野寺健さん、飛田茂雄さんが翻訳していました。イシグロの紹介に力を尽くされ、印象に残っています。
    ◇
 ――長崎生まれのイシグロの受賞で、村上春樹ら日本人に影響はありそう?
 鴻巣 イシグロは日系人ですがもう完全に英国の作家と認識されていると思います。テーマも英文学的。
 ――イシグロと村上、お互いにリスペクトしあっていると言われています。
 鴻巣 2人ともグローバル社会の中でいかに書くべきかを考えている。作品のメンタリティーは正反対に近いかもしれませんが、志の方向性は意外と似ているかも。
 松永 イシグロはヨーロッパで教育を受けているからか、ヨーロッパ的な重厚さがある。SFや現代的なテーマに挑戦して幅を広げています。「移民」のバックグラウンドを持ちながら、非常に美しい英語で小説が書ける作家だと評されていたのも印象に残っています。
 鴻巣 イシグロは多彩な作風を持っていて、一冊ごとに新しい世界観を提示します。また、その文章は奇をてらわず、英語で読んでも癖がない。海外文学というと難しいのでは、と構えてしまうかもしれませんが、イシグロの作品には物語の豊穣(ほうじょう)がある。海外小説が初めての人でも入っていきやすいと思う。これを機に翻訳文学の復興を!
 ――米国でトランプ政権が誕生し、英国がEUからの離脱を決め、北朝鮮問題など不安の広がる時代に、海外文学を読む意味とは。
 松永 ネットで瞬時にニュースが飛び回る世界。テロや災害、他者を排斥する自国第一主義が強くなる中、ノーベル文学賞は自分が出会ったことのない他者の声を聞く機会になる。ツイッターなど刹那(せつな)的に言葉が流れていますが、言葉と向かい合うことはすごく大切です。ノーベル文学賞を通して、世界から聞こえる声に耳を傾けられたらいいなと思う。
    ◇
 ――これからのノーベル文学賞は。
 松永 ヨーロッパ以外の作家を選んだほうがいいと常日頃から思っています。世界の多様性やマイナー言語、アフリカ、アラブなどにおける文学の営みにもスウェーデン・アカデミーが注目してくれたら嬉(うれ)しいです。英語に収斂(しゅうれん)されていく感じがするので。
 鴻巣 ノーベル文学賞は翻訳文学大賞です。ほとんどの作品は翻訳を介して読まれる。機械翻訳なんて、とまだまだ言われますが、去年グーグルが導入したAI翻訳は劇的に質が向上しています。ヘミングウェー『キリマンジャロの雪』の邦訳をグーグル翻訳で英語に戻したら、ヘミングウェーとほぼ変わらないものが出てきたそうですね。
 同時代性という意味では、マイナー言語の文学にとっては早く訳されることの大切さもあります。もしかしたら私たちが思っているより早く、スウェーデン・アカデミーは機械翻訳を採用するかもしれない!?
 松永 それでも読むのはやっぱり人間なわけですよね。翻訳のスピードが上がり、電子ブックで英語の原作がぱっと日本語になる、そんなことが将来起きるかもしれない。無数のいろんな言語を日本語で読める時代がやってくるかもしれない。そうなった場合、誰が何をどう読むのか。それは人間の判断。読者としての人間はいるのです。
 鴻巣 翻訳者という人間は機械化されても、それを読むのは人間だ、と。
 松永 翻訳が全部機械化されたら寂しい。
 鴻巣 私たちは存在の危機です。
 松永 チェックする人は必要だと思います。ものすごい変な翻訳になっているかもしれないし、原作の言葉遊びのようなところが伝わっていないかもしれない。もうひとつ言えば、AIで創作はできるか。中国では現代詩をAIに書かせて、かなりいいものができていると聞きました。
 鴻巣 詩ってずれがいいですよね。誤訳の方が詩的だったりする。もしかしたら機械はいい詩を書くかもしれません。
 翻訳に戻って考えると、これまでなかなか読めなかった言語や国の文学の上質な機械翻訳ができれば良い面もある。米国の比較文学者、デイビッド・ダムロッシュは「世界文学とは、翻訳を通して豊かになる作品である」と言いました。だとしたら、AIが入ってくることの意味とは何か。AI翻訳で一番影響を受けるのはノーベル文学賞ではないでしょうか。
 (司会=西正之・読書編集長/構成=中村真理子、星賀亨弘、真田香菜子/撮影=柴田悠貴)
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 こうのす・ゆきこ 訳書にマーガレット・ミッチェル『風と共に去りぬ』、クッツェー『イエスの幼子時代』など。
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 まつなが・みほ 早稲田大学文学学術院教授。訳書にシュリンク『朗読者』『階段を下りる女』、ノーテボーム『儀式』など。

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