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村上春樹さん
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スコット・フィッツジェラルド
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満を持して、という形容がぴったりくる。スコット・フィッツジェラルド(1896〜1940)の『グレート・ギャツビー』が村上春樹さん(57)による新訳で中央公論新社から出た。人生で巡りあった最も重要な本をどうしても1冊だけ選べと言われたら、「迷うことなく『グレート・ギャツビー』を選ぶ」という村上さんにメールでインタビューした。
〈もし『グレート・ギャツビー』という作品に巡り会わなかったら、僕はたぶん今とは違う小説を書いていたのではあるまいか〉(あとがき)
——『ギャツビー』の主人公ニックの視点は、初期の村上作品に影響を与えているように思います。
「今までとくに自覚はしなかったけれど、あらためて考えてみたら、『ギャツビー抜き』のニックが(とくに望みもしないまま)自前の冒険に乗り出すというのが、僕のある時期の小説の構図みたいになっていたのかもしれませんね」
「ニック・キャラウェイは『いろんなものごとをとにかく公平な目で眺めよう』という姿勢で生きています。彼は世界を真剣に、公正に眺める人なのです。僕の小説の主人公の多くにも、彼のそのような視線はある程度引き継がれているかもしれません」
60歳になったら『ギャツビー』を翻訳する、と広言してきたのが、少し前倒しになった。これまでの翻訳では小説家である自分をなるべく消そうと心がけてきたが、今回は要所要所で小説家としての想像力を活用したそうだ。
——『偉大なギャツビー』ではなく、『グレート・ギャツビー』。『キャッチャー・イン・ザ・ライ』(03年、白水社)に、『ロング・グッドバイ』(来年3月刊行予定、早川書房)と、原題をそのまま使う理由は?
「広く名が知られ、既に古典となって機能している作品を翻訳する場合、なるべくなら原題をそのままに使いたいというのが僕の基本的な考えです。『ライ麦畑でつかまえて』というのは優れた訳題だと思います。しかし原題の意味合いとは微妙にずれています。もちろんまだこの小説があまり知られていない時代であれば、わかりやすい訳題をつけることは必要でしょうし、正しい選択だったと思います。しかしこれだけ有名になれば、『キャッチャー』というタイトルで通用させてしまうのがむしろ妥当なのではないかと僕は考えます」
村上さんはかつて、『ギャツビー』からは「なぜ書くのか」というメッセージを受け取る、ということを書いている。
——今回、新たなメッセージを受け取りましたか。
「僕が小説家として学ぶべきものはまだまだたくさんある、ということです。技法だけでは本当に優れた小説は書けないけれど、技法がなければもちろん本当に優れた小説を書くことはできません。その兼ね合いのようなものを、小説家はどこまでも追及していかなくてはいけない。心を深めると同時に、その深まりを文章化する能力を身につけなくてはなりません」
「フィッツジェラルドはどうしてもこの小説を書きあげなくてはならなかったし、そのために文字通り骨を削るような努力をしたのだということが、同じ小説家としてよく理解できます。昔はただただ『素晴らしいなあ』と思っていたんだけど、小説家になって、それなりのキャリアを積んで、それから読み返してみると、そういう書き手の痛みみたいなものがよりよく見えるようになってきたところはあります」