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寛容と法の文明の興亡 「ローマ人の物語」全15巻完結

2006年12月20日

 古代ローマの、1200年をこえる興亡の歴史をたどった、『ローマ人の物語』(全15巻、新潮社)が完結した。イタリアから一時帰国している著者の塩野七生さん(69)に、古代ローマの魅力について聞いた。

写真塩野七生さん

    *    *    *

 「古代ローマの及んだ地域には、道路、水道、闘技場などの遺跡が残り、日本人も目にしている。これらを、美術や文化として説明する本は多い。でも私は、ひとつの文明として、何のためにつくられ、人々がどう考えていたかを伝えたかった」

 古代ローマは、紀元前8世紀に都市国家として誕生した。元老院主導の共和政で、地中海をかかえこむほど拡大すると、矛盾も大きくなった。政治変革をめざし、殺されたカエサル(シーザー)の遺志を生かし、後継者アウグストゥスは、帝国としての政治システムを整えた。反動ととられることの多い帝政を、塩野さんは肯定的にとらえた。

 「『パクス・ロマーナ(ローマによる平和)』の時期は、広大な、ヨーロッパ、中近東、北アフリカの地域に、200年もの間、戦争が起こらなかった。ローマに負けても、多くは自治が認められた。中央集権と地方自治の微妙な組み合わせです。大英帝国など植民地を搾取した近代の帝国とはまったく異なる。皇帝の出身地も、ローマ本国だけでなく、属州のガリアやアラブ人まで広がった」

 隆盛の鍵は敗者への「寛容」にあった、という。多神教社会であったことが大きい。「彼らは自分たちは正しいにしても、他の人たちが間違っているわけではないと考えていた。戦いに勝っても、勝者の権利をふりかざさなかったんですから。でも日本の多神教とは違いますけれど」

 共和政、帝政の違いをこえて、宗教のかわりに、法が意味をもった。「さまざまな宗教、肌の色などが違う人々が一緒に暮らす共同体にはルールが必要で、それが法だった」

 法律や税制、安全保障(軍備)、公共施設、公共観念。代々の皇帝たちは、どのような点に苦心したか。歴史書や公文書、彫像、コイン、碑文などから、作家の想像力で、大胆すぎるほど断定的に往時を分析した。

 「すべての道はローマに通ず」という言葉があるように、帝国の隅々にまで道路が整備された。「万里の長城は防衛とともに、交通を遮断する。ローマ道路は、開かれた交通を大事にしている」

 3世紀前後から、多民族の侵入、内部対立などで混乱が続き、一神教のキリスト教が政治に浸透するにつれ、ローマらしさは薄れていった。

 「キリスト教公認までの約300年間、ローマ人はキリスト教を必要とはしていなかった。しかし、人間は、不安になると強いことをいう者にひかれる。キリスト教には、その強さがあった」

 「最後のローマ人」として他民族出身の軍総司令官を描き、イスラム教の出現を望むあたりで、最終巻は結ばれている。

 「西ローマ帝国滅亡のあと、キリスト教が支配する中世が千年近く続いたあとにルネサンスがおきた。いまヨーロッパは、自信をなくして不安になっているところが、ローマ帝国の最後あたりと似ている。新たな中世が始まる予感もします」

 ひとつの文明の運命をどう読むか。読者の自由にまかせたい、という。

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