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小林多喜二の最初期の小説発見 短編「老いた体操教師」

2007年03月22日

 「蟹工船」などで知られるプロレタリア文学の作家小林多喜二(1903〜33)が、17歳の時に書いた最初期の短編「老いた体操教師」が見つかった。著書や全集には未収録で、社会的な弱者に温かいまなざしを向けた多喜二の資質が早くもうかがえる。

写真作家の小林多喜二
写真雑誌に掲載された小説「老いた体操教師」=曾根さん撮影

 日本大教授(日本近代文学)の曾根博義さんが、昭和女子大図書館に収蔵されている文芸雑誌「小説倶楽部」21年10月号に掲載されているのを発見し、同人雑誌「さん(舟へんに山)板(ぱん)」3月号(EDI)に発表した。

 21年に小樽商業を卒業して小樽高商に入学した多喜二は「小説倶楽部」の懸賞小説に投稿し、翌年に廃刊になるまで計5作が選外佳作となる。このうち22年3月号掲載の「龍介と乞食(こじき)」が商業雑誌に発表された最初の小説とされていた。

 曾根さんによると、民衆文芸社発行の「小説倶楽部」は実態がよくわからない短命の雑誌で、国立国会図書館にも全19冊とも20冊ともいわれるうち14冊しかなく、21年10月号は欠けていた。

 「老いた体操教師」は懸賞当選作として、菊池寛の小説や北原白秋の童謡、野口雨情の民謡などと一緒に掲載された。400字詰め原稿用紙20枚。「この高台から見える町はぢーつとおびえてゐるやうに少しも活気がなかつた」といった、冬の小樽の描写で始まる。

 主人公のT先生は三軒長屋に住む日露戦争の退役軍人。毎朝酒臭いが、邪気のない性格で生徒に愛されている。頭髪は薄いのに顔中ひげだらけなので、あだ名は山火事。生徒が描いた似顔絵の前で、頭を上下逆さにしたらいい、とからかわれる場面など、ユーモラスな描写が心地よい。

 しかし厳格な校長が着任するのを知って解職を心配し、無心に眠るわが子を抱きながら「生きるためだ、仕方がない」と、生徒に対する態度を改める決意をする。その結果、生徒による排斥運動で学校を追われてしまう。小樽商業では多喜二の卒業後、保守的な校長に対する排斥運動があり、ヒントを得たらしい。

 「小説倶楽部」21年10月号で作者名は小林多喜三と印刷されているが、懸賞小説の選者で作家の吉田絃二郎(げんじろう)の選評では小林多喜二になっている。明らかな誤植とみられる。吉田は「全体として無難な作」と手厳しいが、「人を惹(ひ)きつける人間らしい感じを持つた作品」「ユウモラスな味が灰色の全篇(ぜんぺん)に快い明るさを与へてゐる」としている。

 曾根さんは「マルクス主義を知る前から、多喜二が社会的な弱者や他人の不幸に同情せずにはいられない優しい資質の持ち主だったことがわかる。小説家としての才能も感じられ、どこかチェーホフを思わせる佳作です」と話している。

 「老いた体操教師」は、日本大国文学会が25日に発行する機関誌「語文」第127輯(しゅう)に掲載される。

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