2007年12月24日
「途方に暮れる」という言葉が腑(ふ)に落ちる年だった。年金スキャンダルなど公への信頼失墜で人々の怒りと不安は広がり、過ぎ去った時代への郷愁が募っている。新たな海図を模索した1年の試みを、各分野ごとに振り返る。
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陰惨な事件が続いた1年を予測するかのような、二つのバラバラ殺人事件の衝撃で、今年は幕をあけた。都内に暮らす、歯科医一家の兄妹と、外資系企業に勤める若い夫婦。はた目には成功者にしか映らなかった家庭の幸福も、砂上の楼閣にすぎなかった。「夢がない」。歯科医一家の事件で、兄が妹にいわれたという言葉に、日本社会の閉塞(へいそく)を重ね合わせた人は少なくないだろう。
○自由のとらえ方で論争
やはり年明け、閉塞を突き破る希望への道筋を、戦争に託してしまおうとする一文が論争を巻き起こした。赤木智弘氏「『丸山眞男』をひっぱたきたい」(論座1月号)。31歳、バブル後の就職氷河期のあおりを受けたフリーターが、惨めに押しつけられた不平等をリセットすべく、戦争を待望する。戦争は「国民全員が苦しむ平等」へと社会を流動化させ、学歴のない一兵士が丸山のようなエリートをイジメ抜ける「ギャンブル」だから、というのである。
左派・リベラルの論客からはこぞって暴論と批判された。だが赤木氏は反論する。ほしいのは口先だけの連帯なんかではない。安定した職、収入、人間としての尊厳なのだ。「左派の認識する『弱者』は私たちとはまったく別の場所にいる」。両者のすれ違いは、「自由」を個人の自立と自己実現ととらえる左派の論理と、経済的安定を自由の土台に考える弱者の論理の対立だという(『若者を見殺しにする国』双風舎)。
無名の若者による問題提起が、停滞して久しい論壇で久々に注目されたのは、これまでの議論の、ある落とし穴を突いていたせいなのだろう。雨宮処凛氏は「生きづらさとプレカリアート」(フリーターズフリー01号)で、若者たちの生の過酷さを訴えた。議論は、正社員も含む、この国の労働や社会のあり方全体に発展しつつある。
○危機感への鈍さ露呈
こうした切実な声に、政治はどれだけ耳を澄ませようとしてきたか。宇野重規氏は格差や憲法、年金などがめまぐるしく話題に上った夏の参院選に際し、各党は自分たちの主張の構築に十分な議論をしないばかりか、他党の争点に「知らんふり」を決めこもうとする姿勢が顕著だと指摘した(「争点の〈脈絡のなさ〉、それが問題である」世界8月号)。
結果、安倍自民党は参院第1党の座を民主党に譲り渡す歴史的大敗を喫した。辞職を拒否していた首相が政権を放り出すまでの「脈絡のなさ」は、人々の危機感への鈍さを、鮮明に印象づけた。与党との大連立構想でもめた民主党もまた、変革の機運をとらえる感度の低さをあらわにした。
○過去への視座も欠如
現在・未来への視座の欠如は、過去とも連なるということだろうか。積み残した歴史認識問題が、再び政治化し浮上した。「従軍慰安婦」問題では、米下院が日本政府の公式謝罪を求める決議を採択した。沖縄戦の「集団自決」への日本軍の関与の記述を削除した教科書検定をめぐっては、県民の怒りが噴出した。
中で政治的立場を問わず、強い批判を浴びたのは、久間章生防衛相(当時)の「原爆投下しょうがない」発言である。ここでもまた、為政者のどうしようもない鈍さが頭をもたげる。
広島の地で平和構築活動にあたる篠田英朗氏は「平和とは生き続けることである」(RATIO03号)で、ヒロシマの平和主義とは、「広島の復興を目指した人々が、その道標として、ぎりぎりの状況で生み出したものである」と書いた。だから、平和の希求が苦しく、複雑で、薄っぺらなことであっても、「なお必要であるがゆえに、人々は平和を信奉する」という。
問題は、人々の思いを、どう政治の場で実現するかにかかっている。やはり広島の体験を念頭においた藤原帰一氏の論文が目を引いた(「多角的核兵力削減交渉『広島プロセス』を提言する」論座8月号)。核を持たない被爆国・日本こそが、「原則としての核軍縮」を実質的な「プロセスとしての核軍縮」へと発展させる交渉を開始し、主導する役割を担いうる。米国の核の傘に甘んじてきた私たちへ向けた、厳しい意識変革の提唱だ。
今年亡くなった、小田実氏は近著『生きる術としての哲学』(岩波書店)で、かつて都知事選への出馬をあきらめた経緯を振り返り、「われわれ自身の政策がないことを発見した」からと述べている。市民運動の側にも本気さがなかった、と。
政治を本当に変えるためには、「『おれがやる』という覚悟を決めなければいけない」。
市民の政治という「希望」を最後まで捨てなかった人ならではの、重みある言葉だろう。