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〈回顧2007:2〉文芸 現代人の欠落感描いた新聞小説 文芸誌から体験に根ざした傑作

2007年12月25日

 今年は新聞やウェブに連載された小説に秀作が目立った。幅広い読者を意識して書かれたことが、功を奏したのだろうか。

 ○メール社会の危うさ

 まず、社会的事件に正面から向きあった力作が3編。朝日新聞で連載した吉田修一氏の『悪人』は、メールを通して知り合った男女間での殺人事件に始まるが、終盤は犯人と別の女性との逃避行へと展開する。通俗的な関係から入りながら、人間の説明しがたい情動のドラマへと深化してゆく。現代人のコミュニケーションの危うさ、願望のあてどなさを、地方生活の細部で鮮やかに彩りながら描き切った。

 同じく桐野夏生氏の『メタボラ』は、記憶喪失の青年の自分探しの旅を描く。だが、自分を取り戻すことで逆に、無残な事実が突きつけられる。沖縄の猥雑(わいざつ)な熱気と新潟での閉塞(へいそく)した労働環境の中に、若者の絶望と再起の物語を痛烈に描き出した。

 読売新聞に連載された角田光代氏『八日目の蝉(せみ)』(中央公論新社)は、不倫相手の家庭に生まれた赤ん坊を誘拐した女性の、母親になりすました逃亡生活と、誘拐された女児が長じて後の、被害者である自己へ違和感を抱えた日々をつづる。激しいズレを生きる姿を通じ、母性とは何かを問うた佳作。冒頭で赤ん坊が誘拐犯に笑いかける。「茶化(ちゃか)すみたいに、なぐさめるみたいに、認めるみたいに、許すみたいに」。時を隔てた結末で、2人は海辺でニアミスし、誘拐犯の女性は海面の光にそれと同じ表情を見る。この循環に、作者の人間に対する深いまなざしが感じられる。

 いずれも、現代人の抱える欠落感に、鋭角的に切り込んだ凄(すご)みがある。

 大きな事件は起きないが、毎日新聞の日曜版に連載された堀江敏幸氏の『めぐらし屋』(毎日新聞社)は、世界に対する作者の目線が低く、ささいな日常が魅力的な彩りを帯びて見えてくる好編だ。地方都市の会社で管理職に就く女性が主人公。あるきっかけから、亡父の知られざる過去をたどることになる。

 読売新聞連載の松浦寿輝氏の『川の光』(中央公論新社)は、ネズミの親子の旅をめぐる冒険小説で、圧倒的な筆力で友情や命の尊さをうたい上げ、幅広い年齢の読者に支持された。

 ウェブに連載された松浦理英子氏の『犬身』は、本来自分は犬だと考える女性が、本当に犬になってしまう話。奇想のようでいて、性愛の枠組みを超えた愛情のあり方を物語として理知的に探求した野心作だ。

 ○看病をユーモラスに

 文芸誌連載では、つらい体験に根ざした中堅作家の長編に傑作があった。佐伯一麦氏『ノルゲ Norge』は、染色家の妻に同行してノルウェーに滞在した1年を書く。鬱病(うつびょう)を患う語り手の回復へ向けた希望の物語だ。北欧の静かな生活の調べに、作者が翻訳した小説内小説「鳥」が美しいハーモニーを奏でる。

 荻野アンナ氏の『蟹(かに)と彼と私』は食道がんと闘う恋人の看病記だが、“共闘記”に近い。2匹の蟹による漫才に始まり、悲痛で絶望的な体験をユーモアや軽やかさに昇華しうる、文学の力をまざまざと見せつけた。

 伊藤比呂美氏の『とげ抜き 新巣鴨地蔵縁起』も、老いや死を見つめる。夫と暮らす米国と両親の住む熊本とを介護のために往復する日々を、さまざまな声の奔流でつづる長編詩だ。

 他方、江國香織氏の『がらくた』は、年の離れた女性2人が主人公。果物はいつまでも新鮮ではないがジャムにすれば保存できる。だが、恋の思い出の品は他人にとってはがらくた、という二つの象徴の中に恋愛の残酷さ、不可知さを描き出した。

 作家生活50年を迎えた大江健三郎氏は、『臈(らふ)たしアナベル・リイ 総毛(そうけ)立ちつ身まかりつ』(新潮社)で初めて女性を核に据え、ハッピーエンドへと導いた。サイードの言う「晩年のスタイル」による挑戦が始まった。

 ○ケータイ作品が席巻

 さらに「大津事件」の犯人津田三蔵を描く富岡多恵子氏『湖の南』(同)、瀬戸内寂聴氏が世阿弥を描いた『秘花』(同)、立松和平氏の『道元禅師(上下)』(東京書籍)など、評伝小説に収穫が多かった。

 新鋭では、「文筆歌手」川上未映子氏の出現が目を引いた。快いリズムを刻む語りで観念と身体との関係性を追求する。

 「数」について言えば、文芸の年間ベストセラー10傑の半数をケータイ小説が占め、一方、亀山郁夫氏訳のドストエフスキー『カラマーゾフの兄弟』(光文社古典新訳文庫)が全5巻合わせて50万部を突破した。もとより多層である文芸読者の両極が、くしくも突出した年でもあった。

表紙画像

悪人

著者:吉田 修一

出版社:朝日新聞社出版局   価格:¥ 1,890

表紙画像

メタボラ

著者:桐野 夏生

出版社:朝日新聞社   価格:¥ 2,100

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八日目の蝉

著者:角田 光代

出版社:中央公論新社   価格:¥ 1,680

表紙画像

めぐらし屋

著者:堀江 敏幸

出版社:毎日新聞社   価格:¥ 1,470

表紙画像

川の光

著者:松浦 寿輝

出版社:中央公論新社   価格:¥ 1,785

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犬身

著者:松浦 理英子

出版社:朝日新聞社   価格:¥ 2,100

表紙画像

ノルゲ Norge

著者:佐伯 一麦

出版社:講談社   価格:¥ 2,205

表紙画像

蟹と彼と私

著者:荻野 アンナ

出版社:集英社   価格:¥ 1,890

表紙画像

とげ抜き 新巣鴨地蔵縁起

著者:伊藤 比呂美

出版社:講談社   価格:¥ 1,785

表紙画像

がらくた

著者:江國 香織

出版社:新潮社   価格:¥ 1,575

表紙画像

湖の南

著者:富岡 多惠子

出版社:新潮社   価格:¥ 1,680

表紙画像

秘花

著者:瀬戸内 寂聴

出版社:新潮社   価格:¥ 1,680

表紙画像

道元禅師 上 (1)

著者:立松 和平

出版社:東京書籍   価格:¥ 2,205

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道元禅師 下

著者:立松 和平

出版社:東京書籍   価格:¥ 2,310

表紙画像

カラマーゾフの兄弟 4 (光文社古典新訳文庫)

著者:亀山 郁夫・ドストエフスキー

出版社:光文社   価格:¥ 1,080

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