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ひと・流行・話題

ハンナ・アーレントは終わらない

2007年12月24日

 哀れみが同情の逸脱形だとすれば、連帯は同情や哀れみとは別ものである。(中略)抑圧され搾取されている人たちと同じ利害を持った共同社会を慎重に、そしていわば情熱抜きでつくる(中略)。人びとの「愛」よりもむしろ「観念」――偉大さ、名誉、尊厳――にかかわっている(中略)。哀れみは、残酷さそのものよりも残酷になる(中略)。感傷の際限のなさが限りのない暴力の奔流の解放を助けた。(『革命について』から)

写真1960年代半ば、シカゴ大学で。学生運動には一定の理解を示した=みすず書房提供

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■半世紀前から「ウェブ」提唱

 「ウェブ」。人間の言論と活動によって結ばれた人間関係の網の目を、半世紀も前に、ハンナ・アーレントが『人間の条件』でそう呼んだと知ったとき、作家の平野啓一郎さん(32)は驚いたという。

 ウェブサイトはインターネット上に自在な空間を立ち上げ、表現を生み出す。一方、戦争と革命の20世紀、ナチスの迫害を生き延びたユダヤ系アメリカ人の思想家もまた、様々な人とのかかわりを通じて想像力を膨らませ、全体主義論の大著で世に出た。

 平野さんは、形而上学(けいじじょうがく)批判をこめた作品でデビューしたが、最近はネットの中のコミュニケーションを小説で描く。中心にある権力がなくなった時代を意識したとき、「人間同士のかかわりあいと人間性が現れ出る空間」の問題が、自分の中で大きくなった。私とは何ものか? 個人が自由に発信でき、個人が問われるウェブの登場は大きな可能性を秘めていると思う。

 その一つがアーレントのいう「公的領域」の再生。古代ギリシャの都市国家をモデルとする言論による政治参加の空間は、画一的な大衆社会の到来で見る影もなくなったとアーレントは嘆いた。

 「アーレントが偉大なのは、共通善のような、普遍的な議論の前提を拒否していること。まったく真空な空間を準備し対話を始める先鋭性があった」

 それこそが9・11後、他者への圧倒的な距離が明らかになった時代に読み直される理由ではないかと言う。

 確かに、アーレントの主張は一筋縄でいかない。右か左か。保守かリベラルなのか。称賛の一方で、読者を惑わせ期待を裏切ることもあった。

 たとえば60年代にはベトナム反戦運動や公民権運動を擁護し、政治参加を促す民主主義の旗手の印象があった。だが迅速な解決策を示すわけではない。民衆の貧困より政治理念に重きをおく志向、大衆民主主義への批判が、エリート主義ともいわれた。ネオコンのルーツとの指摘もある。

 中でも論争を巻き起こしたのが60年代初め。雑誌「ニューヨーカー」に発表した、ナチス幹部アイヒマンの裁判傍聴記は、彼の思考の欠如を「悪の陳腐さ」と書いて反響を呼ぶ一方で、ユダヤ人組織のナチス協力も報告、世界中の同胞を敵に回す。恩師ヤスパースへの書簡で、アーレントは嵐のような誹謗(ひぼう)をこう述べている。

 「ユダヤ人のこの悪臭を放つ暗部を少しばかり掃除するのは、おそらく有益でしょう」

■思想の多層性、日本でも支持

 遅れてアーレントの存在が知られるようになった日本でも、アイヒマン裁判は取り上げられた。90年代後半、加藤典洋さんの『敗戦後論』に端を発した高橋哲哉さんとの論争。双方が異なる角度からアーレントに触れ、彼女の思想の多層性が示された。

 哲学・社会思想研究の仲正昌樹・金沢大教授(44)は批判や誤解を恐れぬアーレントの「書く態度を信頼する」と言う。日本の知識人は右も左も、他者への共感に限界があることを認識しない。自由人アーレントを称賛しながら、共感を押しつける排他的なふるまいをしてしまう。

 人間社会への懐疑と希望と。アーレントが格闘した問題の根は深いが、それでもなお、「始まり」「誕生」という言葉に象徴される希望の思想として見いだしたいと語るのは、社会学者の大澤真幸・京都大教授(49)である。

 現代思想は90年代以降、互いの差異を探し相対化を続けた果てに「砂漠」が残った。人間と社会を見渡せる総合的な理論に人々が飢餓感を抱くなか、アーレントの「人間の多元性をふまえつつ、一つの世界を作ることを目指す、情熱をもった文章」は稀有(けう)な存在だという。

 大澤さんはいま、アーレントと同名の本の執筆を考えている。『人間の条件』。ナショナリズムから労働、消費、科学まで幅広い問題提起を受けて、「その先」を探りたいと思っている。

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■足跡

 1906年、ドイツ・ハノーバー近郊で生まれる。ハイデガー、ヤスパース、フッサールに師事し、哲学博士号を取得。ナチス政権樹立の33年、パリへ亡命し、シオニズム運動に従事するが、パリ陥落後の41年に米国へ亡命した。市民権を得た51年、『全体主義の起原』で脚光を浴び、『人間の条件』『革命について』『過去と未来の間』など多くの政治哲学の著作を発表した。若いころ愛人関係にあったハイデガーとは生涯、交流を続ける。シカゴ大、新社会研究学院などで教鞭(きょうべん)をとった。75年に死去。

■いま読むなら

 『全体主義の起原』(全3巻、みすず書房)、『人間の条件』(ちくま学芸文庫)など主著のほか、ハイデガーらとの書簡集、思索日記も多くが邦訳されている。今年出た『責任と判断』(筑摩書房)は晩年の講演などを収めた。

 数あるアーレント論では、クリステヴァ『ハンナ・アーレント <生>は一つのナラティヴである』(作品社)、ヤング=ブルーエル『ハンナ・アーレント伝』(晶文社)が読み応え大。

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 哲学者(1906〜75)

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