2008年11月15日
宇沢美子教授
●慶大教授、研究を著書に 実は白人作家/「日本人顔」のもと?
100年前の米国に現れ、全米で有名になった「日本人」がいた。「ハシムラ東郷」という。コラムニストとして主要な新聞や雑誌に辛口のアメリカ文明批評を書き、ハリウッド映画の主人公にもなった。20世紀前半の数十年間、「多くの米国人に愛され、憎まれ、最後は忘れられた」という。「ハシムラ東郷」とは何者か。その実像が、慶応大学文学部の宇沢美子教授(50)の12年間の研究による著書で明らかになった。
ハシムラ東郷が登場したのは1907年。ニューヨークの週刊誌「コリエーズ」で、「Letters of a Japanese Schoolboy(日本人学僕の手紙)」と題するコラムだった。「学僕」は最底辺の家内労働者や労働者兼苦学生を指し、実態は「メード」のような存在だった。
初回のコラムにこんな一節があった。「白人と黄人はごいっしょできるか? 答えはハイです。そういう色っぽい事あるの、私ご存知ですから」。訳した宇沢教授は「誤字脱字、誤記誤植、誤訳に誤読、誤算に誤伝、時代錯誤と誤のつくようなものすべてが盛り込まれていた」と解説する。コラムの特徴は、東郷を笑う米国社会がからかいの対象になっていることだった。
東郷が本当に日本人かどうか、最初から疑問視する声はあった。このため「コリエーズ」は、登場からわずか半年後、正体は白人作家のウォラス・アーウィンだと公表した。
だが、その後も東郷は活躍する。宇沢教授は「正体が分かっても、ますます怪しい男に見えたのが長く続いた要因の一つではないか」と言う。
1908年に作家のマーク・トウェインから編集部に「最も愛すべき創作である」と手紙が届く。1917年には日本人俳優の早川雪洲主演でハリウッド映画「ハシムラ・トーゴー」が作られた。
人気がピークだったのは1910年代。雑誌「グッド・ハウスキーピング」の6年におよぶ連載が舞台だった。
我が子を自慢する母親とのやりとりが出てくる。
「この子は非凡じゃないこと?」
「まったく傑出したお子さんですね」
「なぜそう思うの?」とほほ笑みながら夫人は聞いた。
「なぜなら傑出した人物というのは、最初は平凡に見えるものですから」
宇沢教授は「白人中産階級の主婦たちの育児書通りの子育て、教科書通りの料理、ペット偏愛、結婚式のやらせの涙などが東郷の視点から吟味され、過剰さやいびつさや不可思議さが浮き彫りにされていく」と著書に書いた。
コラムには、東郷の顔や姿についての記述がない。多くのイラストレーターが個別の東郷像を作り、「東郷二十面相」の様相が生まれた。出っ歯につり目に丸めがねの「日本人の顔」のルーツも東郷だったと宇沢教授はみる。
第2次大戦中、敵である日本人の象徴として東郷像は使われたが、戦後、米国のメディアから消えた。宇沢教授は「敵の顔になりきったので使えなかったのではないか。アーウィンの高齢化もあったかもしれない。でも、本当の理由は分からない」と話す。
宇沢教授の著書『ハシムラ東郷 イエローフェイスのアメリカ異人伝』(2940円)は、東京大学出版会から刊行中だ。(西秀治)
著者:宇沢 美子
出版社:東京大学出版会 価格:¥ 2,940
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