■石原慎太郎と芥川賞の「オウンゴール」?
後編はこちら
公職にある〝テロリスト〟さながら「間違いすぎ」の発言を繰り返し、そうすることで自身を否定されるべき「恐ろしいもの」として屹立(きつりつ)させつつ、そのような自分が正しく否定=埋葬される期待を暗に抱いている--石原慎太郎についてそう書いたのは3カ月前の本欄だった。
とはいえ、論理的にはそう結論が導き出せるにしても、現実の彼がそういうひとであると確信していたわけではない。「だったらいいな」と期待しこそすれ、そこまでキュートにマゾヒスティックであるよりは、たんにマッチョなのだろうとタカをくくってもいたのである。
ところが。そんな石原氏が、またもや期待どおりに「バカみたいな作品ばっかり」と暴言を吐き、言われた側に「気の小さい選考委員が倒れたりなんかしたら都政が混乱」するから「もらっといてやる」と反撃されると、「いいじゃない皮肉っぽくて」と喜んだ挙句(あげく)、自分で自分を埋葬するがごとくに職を退いてしまうのだから、世界はけっこう面白い。そう、都政ではなく芥川賞の話である。
顚末(てんまつ)はほうぼうで話題なのだから、詳しく繰り返す必要もないだろう。選考委員としての「閣下」を鮮やかに否定=埋葬してみせた田中氏の振る舞いについてあれこれ論じることも、小説家としての彼がそんな騒ぎに価値を見いだしなどしないだろう以上、外野の暇つぶし程度にしかなるまい。
潔すぎる身の引き方が、彼の言う通りに、若い連中が「ぜんぜん刺激にならない」という「人生にとっての意味合いの問題」ゆえか、それとも「若い」田中氏の喝破したように「気の小さ」さゆえかも、個人の問題である以上、詮索(せんさく)してもしょうがない。
「軽挙妄動する人の陥る悲劇には--本人は悲劇と思っていないかも知れないが--見ている人の心に或(あ)るゆとりを残すものだが、聡明(そうめい)な人が招く悲劇には救いがなく、人の心を堪えがたく暗くする」とは文豪・谷崎潤一郎の弟・谷崎精二が、新劇女優・松井須磨子との不倫に溺れた偉大な戯曲家・島村抱月を指して嘆いた言葉だが、その伝で言えば「閣下」の憎みきれないキュートさも彼の小心に由来するかもね、くらいの話だ。
だが/だから話の焦点は、そうした過ぎた出来事にではなく、〝「閣下」が正しく否定=埋葬されたあとの世界はいったいどうなるか〟という点にある。それはとりあえず芥川賞の問題だけれど、よく考えれば過去にも未来にも、似たような政治的事件もあるにちがいない。
「石原慎太郎が選考のボトルネックだ」とは、これまでよくひとの言うところだった。「題名が安易で語るに落ちる」と言ったと思えば、次には「表題が内容を集約表現していない」と言う。彼にかかれば、川上弘美は「こんな代物」、玄月は「ただの風俗小説」、金原ひとみは「浅薄な表現衝動」、川上未映子は「不快でただ聞き苦しい」おしゃべり、となる(そのくせ「この作品を評価しなかったということで私が将来慙愧(ざんき)することは恐らくあり得まい」などと、二重に留保を重ねるあたり、そう書く側の小心とキュートさがほの見えるのだが)。それではどんな作品を望むのかと言えば、「官能」であったり「カタルシス」であったり、ようは〝快感原則に基づく主題の料理の仕方〟こそが「文学」の唯一最大の価値と、彼は信じて疑わないのだった(富裕階級の女子大生を「モノにし」たり死なせたりする『太陽の季節』のストーリーを思い浮かべた若い頃から、そういう文学観は一貫していると言えば一貫している)。
そんな〝快感閣下〟にとって、主題を伝える乗り物としての「言葉」(とその構造物としてのテキスト=文章)はあまり興味の対象ではなかったのだろうし、ましてや、言葉そのものの運動性や構造自体に挑んだ前衛的な文学などは、理解の対象であるはずはない。かくして〝前衛と女性作家に邪険な選考委員〟のキャラクターが定着してきたのだ。
ところが、石原氏の依怙地(いこじ)な反対で受賞を妨げられた作品がどれだけあるかというと、実際のところは疑わしい。
密室での十人近くでの論議、漏れ聞こえぬ部分の方が多いだろうが、選評でああだこうだとイチャモンをつけるということは(さきほど挙げた川上弘美ほかへのコメントは、どれも受賞作に向けられたものである)、逆に言えば、彼の反対むなしく授賞が決まっているわけだ。
つまるところ、石原慎太郎そのひとが障害であったのではなく、「石原慎太郎」に象徴される文学観--たとえば同じく今回選考委員からの辞任を決めた黒井千次がしばしば求めた〝今どきの若者の姿や文化〟であるとか(「今どきの若者」がどれだけ小説を書くのかや、まして芥川賞候補作となるための実質的な条件である文芸雑誌への掲載に興味を持つか、といった本質的な問いがそこでは忘却されている)、宮本輝が「受賞者の今後への期待」のかたちでよく表明する〝人間の素の姿〟信仰のような(脊髄〈せきずい〉反射で書かれるtwitterのほうが、その是非はさておき、いまやよほど「素の姿」が見える)といった、おそらくは「文学」への期待をめぐる世代的な素朴さの違いであるとか--こそが、批判する側の標的だったのだ。
視点を変えれば、小説家が(テキストそのものの強度や、それを生み出すに向き合う彼ら彼女たちの真摯〈しんし〉さにおいてではなく)あたかも存在として偉大であるかのように信じられていた時代にデビューした書き手たちの小説の価値基準への違和感も、あるいは、「小説」が枠組みとして揺るがずあった少し前までの小説観にもとづく「前衛」への理解についての反発も、それぞれの文学観によって当然ありうる。結果、村上龍や山田詠美がネックとされたり、島田雅彦や川上弘美が問題だったりという近い将来も、疑いなく繰り返されるのだし、それもまた一個人の問題というよりは、構造的必然に違いない。
とすれば問題は、「石原慎太郎が選考委員であったことでなにが妨げられていたのか」や、「彼が委員を辞することでなにが可能になるのか」ではなく、彼が去ることで「芥川賞」が(さらには「日本文学」が)なにを手放したのか、それがどんな構造の結果だったか、にある。
少なくともそこで確実に失われたのは、全盛期のジャイアント馬場を相手に流血や場外乱闘を繰り返し、40年近い現役生活をさきごろ終えたアブドーラ・ザ・ブッチャーのような魅力的なヒール(悪役)であり、数々の迷言を繰り出したアントニオ猪木や長嶋茂雄のような天真爛漫(らんまん)さだろう。石原慎太郎が作家として、プロレスや野球における彼らのように偉大であったかはともかく、そのジャンルに興味がないひとでも名前と存在を記憶していた点で、彼は紛れもなく「キャラクター」だったのだ。
石原慎太郎がそのような「キャラクター」として記憶されたのは、プロレスや野球が庶民の娯楽として定着したことと同様、彼のデビューが1956年、つまり日本のテレビ普及期であったことと無縁ではない。
なにかが「流行(はや)る」ということは、しばしば、それが持っている本質と同じかそれ以上に、彼(あるいはそれ)が置かれた時代や状況に左右される。前後数多(あまた)の「芥川賞作家」がいるなかで、とりわけ「石原慎太郎」が記銘されたのは、〝テレビによる視覚的同時体験〟がひとびとに共有された初めての時代に、ほとんど生まれたてのヒヨコに対するインプリンティング(刷り込み)のように視聴者の前に現れたからにほかならない(現役大学生のデビュー作だというニュース性や、書かれた物語が持つある種のセンセーショナリズムが、人々の〝共有したい〟対象として魅力的だったとはいえ、それ自体は交換可能なパラメーターに過ぎないのだから)。
それは作家であってもスポーツ選手であっても、あるいは歌手や芸能人から今日の〝ITの寵児(ちょうじ)〟に至るまで、ひいては人間ではなく〝ジャンル〟や〝サービス〟についても同じことだ。石原慎太郎と芥川賞のそうした経緯についてここで長く書くことは控えるが(詳しく興味のある方は、拙著『芥川賞はなぜ村上春樹に与えられなかったのか』を参照されたい)、そうした刷り込みは、一方では石原慎太郎という作家に対する文学史的な過褒として長く批判の対象であり続けつつ、他方では活用すべき〝資産〟として、この半世紀の日本文学に(とりわけその商業的なイメージの源泉として)あったのだ。
ヒールであった「閣下」を倒し「これで民主化(?)が行われる」と世はときに喜ぶ。〝邪知暴虐の王〟を屠(ほふ)って世界を「暴君の手から救うのだ」と夢想するのは、太宰治の描く「メロス」と同様、単純な革命願望の持ち主にはありがちだ。
だが、事態はそう単純ではない。
たしかに、題名ひとつに不満をあらわにし、とにかく快感原則と主題至上主義を貫く「古い」文学観の持ち主がいなくなることで、〝前衛的な文学〟にとっては「やりやすい芥川賞」へと姿を変えるかもしれない。
しかし、「小説にいくらかの興味や郷愁はあるけれど、普段は読まないし読む糸口もない」と感じるひとたちが、正月に餅を、土用の丑(うし)の日に鰻(うなぎ)を食べるように、年に2度だけ「小説」に触れる機会として(ある種の習慣と、「小説を読む〝近代〟」に対する信心深さとでも呼ぶべきものとともに)機能してきた「芥川賞」にとって、魅力的なヒールの喪失は、果たしてどんな意味を持つだろうか。
はたまた、発表媒体である「文芸春秋」数十万部のボリュームが、時間と共に必然として読者層を高年齢化させてきた今(公表されている日本雑誌協会の2002年時点のデータでも50代以上が過半数を占めているのだから、10年が経過しメディアの環境も変わった今日、それがさらに進んでいることは疑いない)、自分たちと共に歩んできた年嵩(としかさ)のキャラクターの退場は、どう映るだろうか。
その鍵を握るのは、じつは「閣下」を否定=埋葬した「不機嫌メガネ男子」(とネットで話題の)田中慎弥ではなく、もうひとりの、ときに「柔和なほうのメガネ」と呼ばれる円城塔にある。
正しく「文学」のイメージを継承した田中慎哉『共喰(ぐ)い』(物語性だけ見れば、暴力性と性的なカタルシスという意味では、石原慎太郎の後継者として捉えることすら可能で、事実、石原氏自身が唯一『共喰い』にだけは好意的だった)とは違って、円城塔『道化師の蝶(ちょう)』は、授賞作を決めた選考会後、選考委員を代表して記者会見に臨んだ黒井氏をして「読んで楽しかったり面白かったりはらはらしたりする小説ではありません」「ひとつの構築物としてつかむということがぼくにはうまくいきませんでした」と言わしめた。つまりは「読めない小説」なのだ。
「読めない小説」に授賞させ、魅力的なヒールを同時に引退させることは、はたして、日本の文学(と芥川賞)にとって、痛恨のオウンゴールになりはしまいか。開けてはいけないパンドラの箱を飛び出た、文学を「永遠に不幸に悶(もだ)えなければならなく」させる「不吉の虫」なのか、それとも箱の片隅に残った「幽(かす)かに『希望』という字が書かれていた」「けし粒ほどの小さい光る石」なのか--それを確かめるために私(たち)は、『道化師の蝶』がいかなる小説なのかを、見ていかなければならない。
……のだがすでに紙幅が膨らみすぎた。続きは来週。
(引用は太宰治『パンドラの匣(はこ)』より)




