
2000冊からの紙の本を電子データ(PDF)にして持ち歩くうち、ふと気がついた。読んでしまった本を開くより、「積ん読」のままPDFにした本を開く方がずっと多い、と。
考えてみれば、当たり前だ。紙の本でも、二度三度と読み返すことはあまりない。手に取るのは、まだ読んでない本である。
パソコン(PC)を立ち上げ、PDFにした本を一覧表示する。特大アイコンで表示すると、カラフルな表紙がずらっと並んで、まるで書店の売場にいるような気がする。しかも何かが気になって購入し、そのままになっていた本ばかりだから、当たり外れがない。
本をPDFにするのは自分の本棚を持ち歩くのではなく、馴染みの書店を持ち歩くようなものなのだ。そう気づいてから、私は「積ん読」の本をどんどんPDFにすることにした。以後、宝の持ち腐れはずいぶん少なくなったように思う。
当初、PCや電子端末の画面で読書なんかできるか、と私も思った。だが、心配はご無用。画面表示はいくらでも大きくなるので、小さな文字の文庫や歴史資料や哲学書など、以前よりずっと読むようになった。
ただ、私は無理して画面で読もうとしない。読みにくいな、と思ったら、手持ちのプリンターでA4判コピー用紙に印刷してしまう。このとき、本のデータを開いて、「印刷」機能から「ページの拡大/縮小」の項目を「用紙に合わせる」にするのがコツだ。すると、文庫も四六判の単行本も拡大印刷されるので、眼鏡なしでも読むことができる。
ここだけの話――このやり方でいちばん利用するようになったのは、私の場合、英語の教則本である。外国取材などで英語を使わねばならないとき、出かける2、3週間前から、例えば仮定法を解説した数ページを印刷し、手帳に挟んで持ち歩く。一冊の本を開くのは仰々しいが、これなら電車のなかでもトイレでも、手軽に復習できる。
本は読むものだが、それ以上に活用するものだ、というのが、本のPDF化を始めてからの私の実感である。
パソコンのディスプレーに並ぶ蔵書。表紙をダブルクリックすると本文が現れる(写真は吉岡さん提供)
よしおか・しのぶ
1948年生まれ。ノンフィクション作家。87年「墜落の夏-日航123便事故全記録」で講談社ノンフィクション賞受賞。ほかに「奇跡を起こした村のはなし」「放熱の行方-尾崎豊の3600日」など著書多数。現在、日本ペンクラブ常務理事、放送倫理・番組向上機構の委員長代行も務める。