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江戸小説うまいもの歳時記

江戸は日本随一の食の都としても栄華を誇っていた。鮨、蕎麦、初鰹・・・・・・江戸小説のおもしろさはおいしい描写に舌鼓を打てることだ。
解説文・市川寛明(東京都江戸東京博物館 学芸員)

「東都名所 高輪廿六夜待遊興之図」(一部分)
庶民の食事
 江戸庶民の日常の食事は、現在からみるとかなり質素。幕末頃の記録によれば、まず朝ご飯を炊き、炊き立てのご飯に味噌(みそ)汁だけ。昼食は、冷や飯に魚か野菜を添える程度で、夕食は茶漬けに漬物。つまり昼が一汁一菜と最も「豪華」な食事であった。それでも江戸では庶民でも毎日のように白米を食べられたことが知られ、同時代の農村部からみればまさに贅沢(ぜいたく)といえるのかもしれない。なお同じ幕末でも上方では、昼にご飯を炊くのが一般的で、おかずの品数も江戸より多かったとある。
 箱膳には鰺の干物と分葱を散らした味噌汁、それに浅蜊の佃煮、焼き海苔が載っている。朝から豪勢な膳だが、食が太くて早飯食いの連中は、幾らも刻をかけずに平らげた。山本一力「損料屋喜八郎始末控え」(文春文庫)
蕎麦
 蕎麦を食べる習慣は古代以来の伝統をもつが、江戸時代以前は、蕎麦粉に水を加えて団子状にした蕎麦がきに汁をつけて食べるのが主流であった。江戸幕府が成立して間もない17世紀中頃、繋(つな)ぎに小麦粉を使う製法が伝来し、細く切った麺(めん)をつゆに浸して食べる蕎麦切り、現在のざる蕎麦が生まれた。18世紀の中頃には、蕎麦を入れた丼につゆをかけるぶっかけ蕎麦が手軽さもあって人気を博し、寛政年間(1789〜1801)頃には、かけ蕎麦の名称が定着していた。蕎麦の値段といえば、寛文4年(1664)以来、「二八」の語源ともいわれる16文が相場。しかし、幕末期の物価高騰により24文になると、看板から「二八」を削りとる者もいたが、「三八そば」の呼称はついに現れなかったという。
「まったく、みんなして同しことを抜しアがる。いいかえ彦さん、二八蕎麦てえのは二八が十六じゃあねえんだ。蕎麦が八分にうどん粉が二分、うめえころあいの二八蕎麦てえこった。値上げは仕方あるめえ、文句なら公方様に言ってくんな」浅田次郎「憑神」(新潮文庫)
茶屋の食事
 庶民から大名まで、幅広く人気を集めた江戸時代の芝居。そんな芝居見物に花を添えたのが茶屋の提供する食事であった。なんといっても江戸時代の芝居は、現在と違って長丁場。夜明けとともに始まり、日暮れまで続いた。観劇の最中に食べる蜜柑(みかん)や幕間(まくあい)の食事などは芝居見物に不可欠の楽しみであった。大名などは、まず茶屋に入り、茶屋の案内で桟敷に入った。安永期のとある大名の記録によれば、茶屋での食事は以下のようであった。朝は、茶漬け、牡蛎(かき)と卵におせち料理の定番であった慈姑を添えた煮物、梅の紫蘇巻き。朝からかなり豪勢であった。昼食は、茶飯に豆腐と海苔の汁、鰈(かれい)の焼き物、椎茸(しいたけ)・芹(せり)・肉の煮付け。晩は、蕎麦と椎茸入りのつみれ汁、慈姑とはんぺんの煮物、はりはり大根のお浸し。さすがに大名クラスの茶屋料理は別格といったところか。
二の重には、棒鱈、ごぼう、蒟蒻、蓮根、くわい、焼き豆腐、あわびの煮しめ、枠囲いには、刻みするめの甘辛煮が入っていた。最後の重が、おこわと卵焼き、昆布巻である。出久根達郎「おんな飛脚人/世直し大明神」 (講談社文庫)
鮨
 今や日本を代表する世界的な料理となった握り鮨。現在の形ができあがったのは、19世紀の前半頃の江戸。それまでは自然発酵による馴(な)れずしが主流であったが、酢が発明されると、酢飯にネタをのせて握る現在の製法が確立した。従来の製法に比べると瞬く間にできあがるので早ずしの異名もあった。当初有名だったのは、深川の「松のすし」と、両国の「与兵衛ずし」であったが、その後ひとつの町に1〜2軒のすし屋があったという記録もあり、その爆発的な広がりから当時の人気のほどがうかがえる。ちなみに嘉永6年(1853)に刊行された「守貞漫稿」には、鶏卵焼き・車海老(えび)・海老そぼろ・白魚・まぐろ・こはだ・あなご甘煮が描かれており、すっかり現在の形が確立していたことがわかる。
 晩飯前で英助の健康な胃袋は好物を前にしては歯止めが利かなかった。英助は遠慮もなく手を伸ばした。こはだは銀色に光り輝いていた。鮪のかッとした赤さ、穴子、卵焼きの厚さに感動した。宇江佐真理「桜花を見た」(文春文庫)
初鰹
 芭蕉とも親交のあった山口素堂の秀句「目には青葉/山ほととぎす/初鰹」、夏の季語にもなるほど、初鰹は季節感あふれる魚であった。初物好きの江戸庶民が競って買い求めたため、はやくも寛文5年(1665)には、旧暦4月〜5月より早い売り出しを規制する法令が出されている。その年一番に水揚げされた、文字通りの初鰹には、驚くべき値段がついた。文化9年(1812)3月25日、魚河岸に17本の初鰹が入荷し、6本が将軍家へ、残った魚の1本を中村歌右衛門が3両で買い、大部屋の役者たちに振る舞ったという記録がある。今では醤油(しょうゆ)に生姜(しょうが)やニンニクを添えるが、当時は辛子を用いることが多かった。
さすがは商売人である。角次郎は茂七たちの見守る目の前で鰹をさばき、炭火で切り身の皮に焦げ目をつけて冷水でしめ、三角形の鮮やかな赤い切り口が美しく見えるように皿に盛りつけるところまで、とんとんと手順よく片づけていった。宮部みゆき「初ものがたり」(新潮文庫)
旅篭の料理
 一生に一度は行ってみたいといわれたお伊勢参り。庶民が旅行を楽しむ時代が到来したのは江戸時代のこと。そのため今でも多くの「道中記」が残されている。ところが道中の旅籠(はたご)で何を食べたのか、詳細に記録した「道中記」は意外と少ない。まさに川柳の「名物をくふが無筆の道中記」といった具合。それでも記録をたよりに、江戸時代の旅籠料理を紹介すれば、朝=ご飯に、味噌汁、芋・ぜんまい・湯葉の椀物(わんもの)、昆布と大根の三杯酢、の一汁二菜。昼は、ご飯に味噌汁、煮豆に玉麩(たまふ)・うど・生姜のあえ物、の一汁三菜。夜は、ご飯に焼き豆腐の味噌汁、焼き豆腐・椎茸・竹の子のあえ物、香の物、の一汁三菜。いずれも奈良の旅籠の記録である。
湯治客の大半は対岸の長屋で自炊をするようで、囲炉裏端には二人の膳の他に、もう一組の膳が用意されているばかりだ。囲炉裏には竹串に差された岩魚が塩焼きされていた。酒の入った竹筒も立てられ、火に炙られた青竹から竹汁が滲み出て、辺りにほのかに酒の香を漂わせていた。佐伯泰英「居眠り磐音江戸双紙/紅椿ノ谷」(双葉文庫)

江戸小説
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