いつの世にも「最近の若者は」と嘆き、怒るオトナは多い。しかし90年代以降の不況と買い手市場の就職事情が続いたあげくに、「仕事に就こうとしない若者像」が批判的に語られる今、「それは違う」と異議を唱える声が、若者からもオトナからも続出する。
本田由紀ほか著『「ニート」って言うな!』(光文社新書)は、労働の分析用語ニートが、メディアに流布することによって「働こうという意欲が欠如した若者」というレッテルとなってしまったことに強く反発する。
浅野智彦編『検証・若者の変貌』は92年と02年の、東京と神戸の16歳〜29歳の青少年調査から、意欲・意識には大きな変動がないという。ではなぜ若者への評価が厳しくなってきたのか? 「大人社会の疲弊した内部システムへのバッシングは自己否定になるが、若者という、まだシステムに入っていない者へのバッシングは自己否定にならないから」と、企業側が責任を棚上げしている状況に目を向けさせる。
玄田有史著『働く過剰 大人のための若者読本』は、ニートへの関心を向けさせた研究者の一人として、「ニートは本来、怠惰や甘えとは違う」と強調する。正社員が減少し、かつ長時間労働が恒常化。ニートの「生きづらさ」は、実は多くの若者に共通する。
熊沢誠著『若者が働くとき』が問題視するように、現在の日本企業の業績回復が、非正規労働者を活用することで成り立っているとしたら、ニート対策が、労働意欲の喚起とかの若者への働きかけに偏っていては、その日本企業の「構造改革」を逆戻りさせないための目くらましとなりかねない。
それでいいのか。立石泰則著『働くこと、生きること』が批判する企業の変質・変節は、若者たたき以上に、日本がこの十数年失ってきたものとして、問い直されていかなければならないだろう。