
[掲載]2009年11月1日
■今も中国語で覚えている
青猫座に入って最初の公演は飯沢匡の「北京の幽霊」と決定され、ぼくはさっそく役を貰(もら)った。と言っても新たに入団した中で役者志望の男性はぼくのみであり、あとは演出、照明などのスタッフ志望、そして女優志望の女性たち三、四人だったのだ。
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太平洋戦争のさなかに書かれた「北京の幽霊」は高校時代、演劇部でやる戯曲を探し求めていた時にすでに読んでいたから面白さは知っていて、その芝居に出演できるぼくは幸せだった。昭和十五年、北京へやってきた日本人一家の話である。ところが清朝の時代に建てられたその大邸宅には、西太后に仕えていた宦官(かんがん)の兄弟の幽霊と、重慶軍兵士の幽霊が棲(す)んでいた。三人は不名誉な死にかたをした自分たちを成仏させてくれる者を捜していたのだが、その願いを一家の長女である初子に託そうとする。ぼくの役は、妻がいながらそんな初子に横恋慕する中国人青年の羅だ。この羅さんの中国語の科白(せりふ)を、ぼくは今でも憶(おぼ)えている。昨年のことだが、芥川賞を取ったばかりの楊逸さんにこの科白を聞いてもらったら、「正確だけど、もっとゆっくり」と言われてしまった。
演出は石田亮という人で、宦官の兄の方は辻正雄の奥さんで辻美智という、関西劇壇では名優と言われていた人が演じ、辻さん自身はプロデュースにまわった。美智さんの演技は優れたもので、ずいぶん勉強になった。原作にあった戦時色は演出によってずいぶん省かれたが、わずかに残っていた「大東亜共栄圏を背負って立つ日本男児」などの科白が、四ツ橋・文楽座での公演では客の笑いを誘っていた。飯沢匡はもしかして戦後にこの芝居が演じられることを想定し、その時には一転して諷刺(ふうし)に変じるような科白をわざと書いたのではあるまいか、もしそうなら大変な人だとぼくは思ったものだ。この頃にはまだ、のちに飯沢さんと毎日新聞での対談書評の連載をきっかけに親しくおつきあいし、ご自宅へ招(よ)ばれて手造りの中華料理をご馳走(ちそう)になったりするなど夢にも思っていなかったのだが、そのくせ昔のぼくの疑問を一度も解いてもらおうとしなかったのは残念なことだった。
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「北京の幽霊」の初演は文学座であり、ぼくの演じた羅青年を演(や)ったのは中村伸郎である。その中村さんはずっとのち、ぼくの書いた「アフリカの爆弾」が劇化上演された時には、なんと観光団団長の役で出演してくれている。舞台がはねたあと、他の関係者たちと共にレストランで食事した際には隣席を許され、この時はリアリズムの演技についていろいろとお話をし、有益な知識もいくつか得たのだった。伸郎さんはこの頃、お嬢さんと一緒にイヨネスコの「授業」を渋谷のジァン・ジァンで演じておられて、まだ見ていなかったぼくは「不幸な人ですね」と笑われてしまった。これはいかん、一度見に行かねばと思っているうちに公演は終(おわ)ってしまった。なんでも演技の途中で科白がどうしても思い出せなくなり、衰えを強く自覚して自ら打ち切りにされたということだった。
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『飯沢匡喜劇全集1』(未来社)に収録。古書では新潮文庫『日本現代戯曲集3』にも。
著者:飯沢 匡
出版社:未来社 価格:¥ 7,140
著者:筒井 康隆
出版社:角川書店 価格:¥ 438