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漂流 本から本へ

夜のみだらな鳥 [著]ドノソ

[掲載]2010年6月27日

  • [筆者]筒井康隆(作家)

■善悪、美醜、聖俗のかなた

 名門の富豪ドン・ヘロニモは生まれてきた恐るべき畸形(きけい)のわが子のため、広大な土地に息子《ボーイ》を閉じ込め、国中の重度の畸形を集めて高給で雇い、いわば畸形の楽園を作る。神父も医者もすべて一級、二級の畸形である。隔絶された楽園の周囲には、雇ってほしいための大勢の畸形がさらに集ってきて村落を作る。単にひとつだけの畸形しか備えていない三級、四級の畸形たちだ。物語のほとんどはこの畸形の園と、やはりドン・ヘロニモが所有していて放置したままの広大な修道院のふたつに終始する。

 主人公のウンベルトは、一冊だけ本を出した貧乏な作家だが、ドン・ヘロニモに見込まれて雇われ、記録者を兼ねて畸形の国の管理人となる。だが、ただひとりの正常者であった彼は、侏儒(こびと)の天才外科医によって臓器を剔出(てきしゅつ)され、畸形たちのそれと交換させられてしまったので、ついに逃げ出して修道院に身を寄せる。この見捨てられた修道院は、老女や孤児などの厄介者が投げ込まれる場所であった。主人公はここで《ムディート》と呼ばれて老女たちの面倒を見る。この老女たちの大群の不潔な貧しい日常の生活ぶりの描写たるや、凄(すさ)まじいものがある。

    ◇

 全篇(ぜんぺん)に漲(みなぎ)る狂気と饒舌(じょうぜつ)と反復による熱気にはただならぬものがある。さらには時間の前後があり、人物の変身があり、非合理、不条理に満ちていて、読んでいるうちにだんだん気が変になってくるが、それでも読み続けずにはいられない。就中(なかんずく)、成人した《ボーイ》に逢(あ)うためにやってきたドン・ヘロニモが、堂堂たる美丈夫という正常者であるために、逆に《ボーイ》や畸形たちから化け物扱いされて石を投げられ、それでもわが子と話したいため彼らの言いなりになって這(は)って歩くなどの屈辱に堪え続けるうち、ついには自らも畸形と考えるに至って自殺を遂げるくだり、また、売り払われて次第に廃墟(はいきょ)に近づいていく修道院では、援助がなくなって食うに困った数十人の老女たちが、修道院内に無数に存在する建物の床やドアを叩(たた)き壊して燃料にし、孤児の少女を売春婦に仕立てあげ、三三五五町へくり出して強奪や盗みを働きはじめるくだりなどは圧巻である。その他、魔女は出る、聖女は出る、魔法による人体の入れ替えはある、老女たちの不潔な衣服の羅列と、修道院にやってきたドン・ヘロニモの妻である貴婦人によるそれらの衣服の賭博での身ぐるみ剥(は)ぐが如(ごと)き強奪はある、礼拝堂取り壊し直前のどさくさにまぎれての神父による金めの器物の盗みはある、さまざまな畸形の描写はある、その畸形たちによる仮装舞踏会の大行進はある、ここはまさに善悪や美醜や聖俗を越えた文学的カーニバルの異空間だ。

    ◇

 鼓直の翻訳によって集英社「ラテンアメリカの文学」シリーズの一冊として出たこのドノソ『夜のみだらな鳥』こそは、間違いなく現代文学の最高峰のひとつと言えるだろう。このような作品がわが国では書かれず、また書き得ない状況にあることは哀(かな)しいことだと思いはじめていたぼくにとって、この読書体験は強烈だった。この七、八年後、ぼくはマスコミの自主規制による言葉狩りに抗議して断筆することとなる。(作家)

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 鼓直訳で1976年、84年、集英社から刊行。図書館か古書で。

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