古典というのは不思議なもので、高校の古文の時間に教科書でちびちび読むと、これほどつまらないものはない。けれども、自分で興味をもって本を買って読むと、びっくりするほどおもしろいのだ。「ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。よどみに浮(うか)ぶうたかたは、かつ消えかつ結びて、久しくとどまりたるためしなし」
誰でも諳(そら)んじているイントロダクションだが、一度口にすれば、往年の大ヒット曲のように二度と忘れることはできないだろう。鴨長明の『方丈記』は文庫本にして、ほんの30ページほどの短い随筆である。モンテーニュの全6巻とは好対照だ。あちらは広大無辺で、こちらは極小純粋である。筋肉質の文章の見事さは、日本語の最高峰のひとつなのだ。
だいたいこの人はひどく変わり者である。地震だ、火事だ、疫病だといって、京の都を逃れ、日野の山のなかに方丈=一辺3メートル四方の小屋を建てる。そこでの明け暮れを孤独に楽しみながら、こんなふうにいう。
「惣(すべ)て世の人のすみかを作るならひ、必ずしも事の為(ため)にせず。或(あるい)は妻子、眷属(けんぞく)の為に作り、(略)或は主君、師匠及び財宝、牛馬の為にさへこれを作る。われ今、身の為にむすべり、人の為に作らず」
最近家を新築したばかりのぼくには、耳に痛い言葉である。ずいぶん無理しちゃったなあ。住宅ローンはたいへんだし、仕事部屋だけでも方丈の庵(いおり)が8軒もはいってしまう。机ひとつあれば十分な仕事なのに「わが身とすみかとのはかなくあだなるさま、又(また)かくのごとし」である。延々と引用が多くなるのは、ひとえに元の文章がいいせいなのだ。
『方丈記』というと無常観とか、出家による遁世(とんせい)願望とかいわれるけれど、ぼくはあまりそこを気にしないでいいと思う。長明さんの筋金いりの偏屈ぶりと漢文脈の切れ味鋭いリズムをひたすら楽しむ。それで十分。日本文学史上、元祖パンクの名にふさわしいのは、この人をおいてないのだから。(作家)
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市古貞次校注、岩波文庫・525円。89年初版の新訂版で、長明直筆とされる大福光寺本の全編複写付き。