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たいせつな本

G.ヘーゲル『歴史哲学講義』上下 佐藤優(下)

[掲載]2007年01月21日

■独房で染みた名翻訳、理性がもたらす癒やし

 駆け出し外交官時代、モスクワの日本大使館における仕事の7割は、「プラウダ」(ソ連共産党中央委員会機関紙)、「イズベスチヤ」(ソ連政府機関紙)などをロシア語から日本語に翻訳し、電報で東京の外務本省に報告することだった。あるとき私が学者の肩書を“ソ連科学アカデミー通信員”と訳すと、先輩外交官から「これじゃロシア語を知らない者には意味がわからない。“アカデミー準会員”と訳せ」と指導された。文法をきちんと踏まえた上で意味を伝達するのが翻訳・通訳の基本だとたたき込まれた。

 東京拘置所の独房で長谷川宏氏が訳したヘーゲル著『歴史哲学講義』を読んだとき、これこそ哲学書の翻訳のあるべき姿と思った。長谷川氏は「人倫(Sittlichkeit)」などという日常の日本語に馴染(なじ)まないことばは一切用いずにコンテクストによって教会、国家、家族などと訳し分ける。そのおかげで、私は独房で講義を直接聞いているような気分になった。夢にまでヘーゲルが出てきて、なぜかロシア語で私に「歴史の中で君のような境遇に陥ることは珍しくない。その内在的論理について俺(おれ)は百八十年前にベルリン大学で講義した」という。ヘーゲルは、人が歴史的に意味がある仕事に情熱をもって取り組むときに、「個人は一般理念のための犠牲者となる。理念は、存在税や変化税を支払うのに自分の財布から支払うのではなく、個人の情熱をもって支払いにあてるのです」という。この割に合わない現実こそが「理性の策略」なのである。

 橋本龍太郎、小渕恵三、森喜朗の三総理、そして鈴木宗男氏は東西冷戦の論理から離れ、日ロの戦略的提携を深める中で北方領土問題の解決を真剣に模索した。これらの政治家は小泉純一郎政権の誕生後、ポピュリズムの嵐の中で売国奴、国賊のごとき扱いを受けたが、歴史を前に進めるためには犠牲者が必要だというヘーゲルの言説で私は現在進行中の事態の本質が理解できた。『歴史哲学講義』は私の魂に平穏を与えてくれた癒やしの書なのである。(外務省元主任分析官=起訴休職中)

    ◇

 長谷川宏訳、岩波文庫。94年刊行。原著は著者の死後、1837年に出版された。

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