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ここから本文エリア 現在位置:asahi.com>BOOK>たいせつな本> 記事 たいせつな本 聖書『ヨナ書』 四方田犬彦(下)[掲載]2007年07月08日 ■巨魚に呑まれた男の冒険譚から空想広げ ヨナの物語をいつ知ったのか、それを正確に思い出すことはできない。おそらく子供用に書き直された聖書物語を通してだろうと思う。いずれにせよ旧約聖書にあるこの冒険譚(たん)は、幼いわたしを夢中にさせた。 船が暴風雨に見舞われる。人々はそれぞれ信じる神に祈るが、ユダヤの神を信じるヨナなる男がみずから申し出て、海に投げ込まれた。巨大な魚が彼を呑(の)み込む。ヨナはその腹のなかで神に祈り、三日の後に腹から出て陸地に到着する。 この物語はピノキオから大江健三郎まで、さまざまな小説作品の原型となった。巨魚とはおそらく鯨だろう。いや海そのものの喩(たと)えであるかもしれない。ヨナは無意識世界へと参入し、ひとたび死を体験した後、再生を遂げるのである。 何年か前にテルアヴィヴに滞在していたとき、ふと隣町のヤーファが、このヨナが出航した古代の港町ヨッパであることに気がついた。この町はその後、オレンジで有名な都市として栄えたが、イスラエル建国のときパレスチナ系住民のほとんどが追放され、現在はユダヤ人の観光地として知られている。 さらに調べてみると、ギリシャ神話においてペルセウスが美女アンドロメダを海の怪物から救出したと伝えられる岸壁も、同じ場所にあることが判明した。この有名な神話が旧約聖書の物語と同じ場所に発していることは、わたしに少なからぬことを考えさせる。ヨーロッパ文明を形成するにあたって二つの大きな潮流となったヘレニズムとヘブライズムとが、同じ岸辺を舞台に、まったく別々に異なった物語を作り上げていたのである。これは古代の地中海世界を文化史的に捕らえるさいに、興味深い挿話だろう。 わたしの空想はさらに進んだ。もしペルセウスが退治した海の怪物とヨナを呑みこんだ巨魚とが同一の怪獣であったとすれば、どうだろうか。ここからは幻想小説家の領域だろう。けだし古典と呼ばれる書物は、それを読む者に自由な想像を許すものなのである。(明治学院大学教授) ◇ ヨナ書自体は数ページ。預言者ヨナとのやりとりを通して神の愛の広さを語る。写真は日本聖書協会発行『聖書』。
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