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たいせつな本

夏目漱石『三四郎』 柴田翔(下)

[掲載]2008年02月10日

■人生に戦慄する青年 温かく見守る語り手

 先週の「バベットの晩餐会」からは物語の声が聞こえてくるとすれば『三四郎』では語り手の視線が見える。世馴(な)れぬ主人公に寄り添い、世間に戸惑う青年を軽くからかうように見守る温かい視線。

 大学生になった三四郎は眠ったような九州の片田舎を離れ、轟音(ごうおん)を立てて市内電車が疾駆する東京に出てくるのだが、語り手はその彼のために帝国大学とその周辺の、優しい脱俗の世界を用意する。

 やがて秋から冬へと季節は移って行き、明治後期の東京の澄んだ空と美しい風物に守られた三四郎は、美禰子(みねこ)に淡い夢のような恋をする。

 語り手の視野には別の世界も映っている。三四郎の住む穏やかな空間へ荒々しい外界の影が、繰り返し差し込んでくる。上京する列車の中で三四郎が出会うのは、日露戦争で息子を亡くした爺(じい)さんと、大陸に出稼ぎへ行った亭主を当てなく待つ若い女である。

 そして野々宮さんの家の留守番をした夜、窓の外に聞いた、鉄道自殺する女の「ああああ、もう少しの間だ」という声。三四郎は戦慄(せんりつ)する。

 夜が明け、朗らかに晴れ上がった空を見上げるとすべては夢のように消え去るが、しかしそれは見せ掛けで、死んで行く女の声こそが人生の本質であることを、三四郎は知らずとも語り手は忘れない。

 だが語り手は三四郎にはひたすら優しい。脱俗ゆえに安全かつ人生から疎外されて日々を送る広田先生や野々宮の淋(さび)しさに気づくことなく、彼はまだ暫(しばら)くの間、彼らの世界の周辺で低回を楽しむことを許される。それはたぶん語り手が自らの人生を振り返って、三四郎に許された猶予の時間が決して長くないことを知っているからなのだろう。

 やがて誇り高い美禰子は野々宮への想(おも)いを諦(あきら)め、三四郎への仮初めの好意をわが咎(とが)と自覚して、人力車の紳士に身を委ねて華やかな世界の人となる。それは自殺する女の対極と見えて実は地続きの場所にある。語り手は猶予時間の終わりをそっと告げている。

 それにしても人生の苦悶(くもん)家漱石にこの語り手の温かい声を可能にしたのは、物語の力というものだろう。(作家)

    ◇

 1908年に発表された。『それから』『門』へ続く前期三部作の一つ。新潮文庫などに収録されている。

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