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ここから本文エリア 現在位置:asahi.com>BOOK>たいせつな本> 記事 たいせつな本 尾辻克彦『国旗が垂れる』 ねじめ正一(上)[掲載]2008年03月02日 ■重箱の隅にいる神様、つついて浮かぶ細部 1年半程前になるが、新聞に「チョビひげ諭吉」という見出しが載っていた。面白そうだと思って読んでみると、中国人の女性ダンサーが自室から現金を盗まれ、犯人として彼女が働くクラブの経営者が逮捕された、というニュースであった。逮捕の決め手になったのは盗まれた1万円札である。くだんの女性ダンサーは、1万円札がまさしく自分のものであるという証拠として、1万円札の福沢諭吉の顔に一枚一枚にサインペンでチョビひげをつけていた。泥棒に入られてしばらくして、女性ダンサーが給料を貰(もら)って中身を改めたら、1万円札の福沢諭吉にチョビひげがついていたというわけである。 この記事を読んだとき、尾辻克彦の『国旗が垂れる』の中の「露地裏の紙幣」という短編が浮かんだ。電柱に「千円札を落としたので拾った人は届けてほしい」と貼(は)り紙(がみ)がしてある。貼り紙には落とした千円札には醤油(しょうゆ)のシミがあるとか、角がこんなふうに折れ曲がっているとか、こまごまと特徴が書いてある。その千円札を主人公の娘が発見する。父親と娘は拾った千円札を持って落とし主を訪ねる。落とし主は初めはありがたそうにお礼を言うのだが、千円札をじーっと見ているうちに醤油のシミの位置が違うことに気づいて、申し訳なさそうにお札が違っていることを父親と娘に言う。父親と娘はがっかりしながら帰っていく。 この本は今から25年前の1983年に出ているが、こういう重箱の隅を突っつく小説には最近お目にかかったことがない。『国旗が垂れる』に入っている小説はどれも、右から左へすすすすっとお話になりそうなくせに、こちらの油断を見澄ましたところでお話がぽろぽろ壊れはじめ、壊れたところから細部が浮かんでくる。その細部のどうでもよさ、重箱の隅っぽさがいつ読んでも新鮮である。 尾辻克彦サンはひさしく小説を書いていないが、そのうち書きたくなったら書けばいいじゃないのと読者であるこちらがのんきに構えられるのも、尾辻克彦に重箱の隅にいる細部の神様が宿っているからである。(作家・詩人) ◇ 83年、中央公論社。赤瀬川原平の名で美術活動を行う。本書の装丁も赤瀬川氏。現在は品切れ中。 ここから広告です 広告終わり この記事の関連情報たいせつな本 バックナンバー
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