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ここから本文エリア 現在位置:asahi.com>BOOK>たいせつな本> 記事 たいせつな本 鈴木三重吉『古事記物語』 有馬朗人(上)[掲載]2008年04月06日 ■父母が黙ってくれた二冊が人生を決めた 1937年(昭和12年)、私は千葉県銚子市の尋常小学校に入学した。盧溝橋事件が起きた年だ。小学校2年生の冬、父と母は2冊の本を私にくれた。その一冊は石原純編集の『世界の謎』だった。これには物理、生物、考古学についての当時の最新の知見について、小、中学生向きに分かりやすく書いてあった。中学校3年のとき浜松で戦災で焼け出されるまで繰り返し読んだ。物理を研究してみようと思ったのは、この本のためである。もう一冊は鈴木三重吉の『古事記物語』であった。国生みの話が面白いと読み始めたが、伊弉冉神(いざなみのかみ)が、火の神を生んでやけどをして死に黄泉(よみ)の国へ行く話、伊弉諾神(いざなぎのかみ)が亡くなった女神が恋しく黄泉の国へ出かけて行き、ただれた女神の姿を見て逃げ出す話が気味悪くて、その後何カ月か夜一人で便所に行けなくなった。そして黄泉比良坂(よもつひらさか)へ行ってみたいとその頃から思っていた。 古事記のどの話も面白かったが、特に大国主神(おおくにぬしのかみ)を中心とする出雲神話に大きな関心を持った。今でもしばしば出雲に行ってその地の神話や伝説を聞き、神話に登場する地名を訪ねるのが楽しみである。それと倭建命(やまとたけるのみこと)の話、特に酒折宮(さかおりのみや)の御火(みひ)たきの翁(おきな)との「にいばりつくば」で始まる旋頭歌(せどうか)の問答に感心した。この鈴木三重吉の古事記は分かりやすく美しい文章であった。 その後父の本棚にあった柳田国男の「遠野物語」や小学生には少し難しかったが南方熊楠の本を読んで、神話や民俗学に関心を持つようになった。父母がくれた2冊の本は3年生の秋相模原へ移ったときも、6年生の時浜松へ移った時も、大切に持ち続け読み続けていた。そして私の今日までの生き方を決定的に決めたのである。父と母はついにほとんど一回も私に勉強せよとは言わなかった。ただ黙ってこの2冊の本を私に与えてくれただけであった。その後はどの本も私の意思で選んできた。この2冊だけは例外であった。 (武蔵学園長、元文相) ◇ 初出は児童雑誌「赤い鳥」での連載(1919年から)。現在は角川ソフィア文庫『新版 古事記物語』で読める。
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