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たいせつな本

内田百けん『鶴』 川上弘美(下)

[掲載]2008年04月27日

■へんなものだけれど、よその匂いがしない

 「よその家って、よその匂(にお)いがする」と、ある日、遊びに来た友だちが言った。

 「よその匂い」という言葉に、私は驚いたのだった。いやな匂い、だの、いい匂い、という好悪の判断のまったく入っていない、言いかただった。

 そうか。自分が何も嗅(か)ぎとらない、無臭の場所と思っているところにも、何かしらの匂いがあるのだ。そのことを知って、驚いたのだった。

 海外の翻訳小説は、知らない作者のものでもどんどん手に取って読んだのに、大学も半ばを過ぎるまで、昭和の日本の小説家の書いたものを、ほとんど読まなかった。

 もしかすると昭和の小説には、よその匂い、が、したのかもしれない。同じ昭和の、同じ日本の人の書いたものだのに、よその匂いがする。

 よその匂いは、たぶん、ものすごく違う匂い、ではないのだ。それはきっと、ほんのわずかな、違いだ。煮炊きに使うみりんやお醤油(しょうゆ)の銘柄の違い。使っている蚊とり線香の種類の違い。窓を開けて風を通す頻度の違い。

 ほんのわずかな違いだからこそ、同じ土地の、同じかたちの生活の中だからこそわかる、些少(さしょう)な差異。

 内田百けんの文章は、不思議に私にとっては、よその匂い、のしない作品である。自分の家の匂いと同じ匂いがする、という意味ではないのだけれど。

 生まれてはじめて買った百けんは、この『鶴』という文庫だった。表題の「鶴」、岡山の後楽園で鶴を間近に見た、という内容の、わずか三頁(ページ)の文章を読んで、仰天した。

 へ、へんなものを、み、みつけちゃったよ。

 仰天し、狂喜した。へんなものだけれど、よその匂いがしなかった。異様な内容の、見たこともない文章。でももしかしたら、自分の身の内に、とても近いかもしれないもの。そういうものが、「鶴」には書かれていたのであった。(作家)

    ◇

 初版発行は35年(三笠書房)。81年に旺文社文庫に収録された。表題作「鶴」はちくま文庫「冥途(めいど)」にも収録。

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