[掲載]2008年5月25日
■安吾の声が聞こえる、自分自身を生きよと
「健全」なことをさも新しい発見でもしたかのように生真面目(きまじめ)に、声高に言いたがる作家の書くものは、昔からどうも苦手だった。戦争をしてはいけない、とか、人間は平等である、とか、親を愛し、家庭を大切にして世界の平和を祈ろう、といったようなことを正面きって書かれると、鼻白んでしまう。
思春期の私のバイブルでもあった『堕落論』の中で、坂口安吾は「ほんとうの倫理は健全ではないものだ」と書いている。その通り、と膝(ひざ)をぽんと打ちたくなる気持ちは、あの頃も今も変わっていない。
「青鬼の褌(ふんどし)を洗う女」の主人公は女性だが、おそらくは安吾の化身として書かれたのだろう。貧乏が嫌いで、束縛されることが嫌いで、戦争のさなか、国賊と呼ばれてもかまわずに、遊び続けてきたような女である。
空襲を受けて真っ赤に燃え上がる空を見上げれば、何か新しいことが起こると思って、獣のように興奮する。「私には国はないのだ」「私は現実はただ受け入れるだけだ」と主人公は言う。
戦後、彼女は金持ちの初老の男に囲われる。初老男はことのほか、彼女を可愛がり、好きなようにさせてくれるが、彼女は彼が、老いの孤独と冷酷な魂をもっていることを知っている。タイトルにある「青鬼」というのは、彼=男一般=人間一般のメタファーにもなっているのである。
愚かで、脆弱(ぜいじゃく)で、孤独な魂をもつ人間の、本当の意味での聖性をここに読み取ることができる。この作品をきっかけにし、私は、安吾のとりこになった。
70年代前後、太宰治と比べられることの多かった安吾だが、私は断然、安吾派だったし、今もそうだ。安吾を読むと、健全だとされている現実の嘘(うそ)が浮き上がって見えてくる。自分自身を生きよ、という安吾の声が聞こえてくる。実に痛快である。(作家)
◇
初出は47年の「愛と美」。短編集『白痴』などに収録されている。
著者:坂口 安吾
出版社:新潮社 価格:¥ 420
著者:坂口 安吾
出版社:新潮社 価格:¥ 540
ここから広告です
広告終わり