「漢字文化を復興させ、東洋を回復したい」。折にふれて、こう述べた白川静さん。地道に漢字の源流を求め、東洋の回復を願い続けた生涯だった。
京都・桂離宮に近い自宅は、退職金で買ったという質素な2階建ての建売住宅。書斎はガレージ用地に鉄筋の基礎を補強して建てられている。
そこで時折けいれんする目を押さえながら、虫眼鏡を片手に辞書や研究書の校正をこつこつと進めた。
福井の洋服店に生まれたが、「ミシンを踏むのが嫌」で大阪へ出た。書生として住み込んだ法律事務所の書架に多くの漢籍があった。それを熟読し、暗唱した。以来、一筋の道だった。
研究者として歩き出した時期が、漢字学上の重要な発見の時期と重なった。亀の甲羅に書かれた甲骨文字、古代の銅器などに刻まれた金文の発見だった。紀元前千数百年ごろの不思議な形をした成立期の漢字を1文字ずつノートに書き写し、研究した。根気の要る、孤独な作業である。
中国でもなされていない原資料に当たる研究が「説文新義」「金文通釈」「字書3部作」などとして花開いた。
この仕事中に大学紛争があった。白川さんが立命館大に招いた作家の故・高橋和巳は評論集「わが解体」に「S教授の研究室」が全学封鎖の際も「それまでと全く同様、午後11時まで煌々(こうこう)と電気がついて、地道な研究に励まれ続けていると聞く」と書いている。
未知の分野を切り開いた人の常として批判にさらされた。学閥の背景がないだけにとりわけ厳しいものがあった。成果に光が当たったのは最晩年のことだった。
「平和だった東洋は1850年の太平天国の乱以来、分解した。中国は簡体字、韓国はハングルが主流になり、漢字文化圏は四分五裂した。アジアが分裂して争うのは不自然極まりないこと」が持論。東洋文化や精神を漢字を通じて再生するのが宿願だった。
◆学会の枠超え横断的に活躍
〈阿辻哲次・京都大大学院教授(中国文字学)の話〉 伝統的な漢字の研究体系に、考古学的、民俗学的な最新の成果を結合した業績は大きい。漢字学と考古学とは学会が別になっているが、白川さんは特定の学会の中におさまらずに、横断的に活躍した。今でこそ漢字研究はある程度、ブームとなったが、それはひとえに、白川さんが書いてきたことの結果だと思う。敬服する大先輩だった。