「ひかりごけ」などの小説で知られる作家、武田泰淳(1912〜76)が残した2262点もの資料が日本近代文学館(東京都目黒区)に寄贈され、概要が明らかになった。中国戦線の惨状の中で記した未発表の日記や、原稿・草稿類、書簡などだ。「滅亡の思想」を唱えた戦後派作家の、創作の舞台裏を明かす第一級の資料として期待されている
長女で写真家の武田花さん(54)が、9月に寄贈した。花さんは「母(『富士日記』などの作家武田百合子さん)は生前、自分の資料は『私が死んだら燃やすんだよ』と言っていたので、ほとんど見ずに燃やした。父の資料は『あなたがお父ちゃんの子供なのだから自分で決めなさい』と言い残した。私はこの春、病気で一時入院し、元気なうちにと寄贈を思い立った」と話す。
同館によると未発表の日記類は37〜39年の従軍手帳が3冊、除隊した39〜44年が3冊、上海に渡った44〜45年が原稿用紙と便箋(びんせん)で239枚ある。
従軍手帳には「兵去りて城内の蝿(はえ)皆舞ひぬ」という死体が散乱する光景を思わせる句がある。戦地での思いは「悲しみはあまり色が黒いので私はその中に自分の手をひたした。そして手を引きあげて見るとやはり前と同じ自分の手の色であつた」などとつづられている。
上海時代の日記は日々の出来事が細かい字で詳細に記され、作家の内奥がうかがえる。当時、1人の女性をめぐって作家の堀田善衛と三角関係に陥っていた話は有名で、関連した記述が見つかる可能性もある。
原稿・草稿類は323点、原稿用紙約6400枚で、点数で約半分が筑摩書房版全集に未収録とみられる。既発表のものでは、「司馬遷」「風媒花」「富士」など、代表作はほとんど含まれている。ただ、原稿が完全にそろった作品は少ない。中学・高校時代の習作と思われる10枚もある。
同館の紅野(こうの)敏郎・常務理事は「大量の資料が残っていたのに驚いた。特に日記類は泰淳の思想を研究する上で貴重な手がかりになる。研究者に解読してもらい、できれば活字化したい」と話す。
同館は資料を「武田泰淳コレクション」と命名し、どう整理するかを12月の理事会で検討する。