中国の最大のアキレス腱(けん)は「三農問題」である。農業、農村、農民。基幹産業でしかも人口の過半を占める存在が、“狗日的(人でなし)戸籍”と呼ばれる独特の身分制度によって底辺に捨て置かれ、すべてに二等公民(市民)の扱いを受けてきた。
彼らは経済成長の恩恵にも与(あずか)れない。一方ではテレビやインターネットの普及で、大都市の情報がなだれ込む。堆積(たいせき)していた不満が、当然、爆発し始めた。
『中国農民の反乱』は、中国深奥部のそんな実態を活写している。日本にあまり伝えられてこなかったのは、沿海各州の開放経済や人民元の行方のようには、とりあえずのカネにならないためか。
毛沢東の故郷で、無名の村で、農民たちは蜂起した。中国四千年の歴史が事あるごとに求めてきた“農民領袖(りょうしゅう)”たちが、はたして今回も台頭する。改革を急ぐ中央の実力者らは、彼らをこそ国を統べる道具に活用したがるものの、変革期には私利私欲の追求を否定したユートピア思想“大同世界”への夢に大衆が熱狂する習いが、グローバル経済での必勝を期す国家戦略とも矛盾して……。
評価も判断も軽々にはできない。ただ、反日ムードが生意気だとか、いずれは分裂するに違いないなどという、やたら勇ましい短絡で対立してしまってよい相手ではない真実は読み取れる。
学生時代のトラウマを経て、十年以上の歳月を北京や香港の特派員として過ごした筆者は、中国の情報筋を安易には信じない。今どき慎重な筆致が心地よい。
さて、日本でも国民各層の格差拡大が深刻な社会問題になりつつあるのは周知の通り。中国農民のドラマに比べれば卑小にも映るが、先行するアメリカ同様、自称エリートのホワイトカラーも含め、人間という人間が資本への奉仕に動員されていく奔流も狂気に近い。『働きすぎの時代』に描かれた現実と提案に学ぼう。
日本の経済格差、不平等社会日本、機会不平等、希望格差社会、ときて、ついに『下流社会』が出た。マーケッターを兼ねた著者らしいタイトルの妙はさておき、このテーマは考えれば考えるほど複雑だと改めて思い知らされた。お互い他者に対する最低限の想像力と優しさを歯止めにしなければと、いつもと同じ感想をここでも書き留めておくしかない。