馬立誠さんは、勇気ある人物だ。
人民日報の著名な記者だった2002年当時の論文「対日関係の新思考」は、すぐに翻訳が「文芸春秋」「中央公論」に掲載され、大きな反響をよんだ。だが中国では、インターネットで「民族の裏切り者」などと非難が集中、袋叩(ふくろだた)きになった。それでもへこたれず、まとめたのが本書『謝罪を越えて』である。
たび重なる反日デモなど、《「愛国」を振りかざす非理性的な妄動》が続発している。こうした《無責任な行為は中国の基本的利益を損ねている》と、馬さんは憂慮する。国際舞台に登場した中国は《理性大国、責任大国、バランス大国にならねばならない》。対日外交も、《72年から01年にかけて…21回も謝罪している》のだから、これ以上歴史問題にこだわるのはやめるべきだ。《中国の…現実的な道はただ一つ…米国と緊密な関係を維持し…同時に、日本との関係を改善…することである。》
まことに正論である。でもこれが通らない。いまの日中関係はむずかしい。
清水美和さんの『中国が「反日」を捨てる日』は、軽いタイトルに似合わず、しっかりと中国の指導部や民心の動向を見極めた本格的なレポートだ。
反日デモは、政府が仕組んだのでも、政府への民衆の不満のはけ口でもない。指導部の内部対立が背景である。02年、胡錦涛総書記は、対日柔軟路線へ転換を図った。「対日関係の新思考」論文も、そのサインだったかもしれない。でも日本側は、動かなかった。そこへ、政権内の失地回復をねらう江沢民ら強硬派が巻き返しをかけた。インターネットに過激な対日批判を書き込む、若い世代の《大衆的民族主義》が、追い風になった。選挙で民意の洗礼を受けない中国では《共産党政権の基盤が脆弱(ぜいじゃく)なだけ、大衆的民族主義に迎合する傾向が強まり、現実的な外交を目指す協調派は窮地に追い込まれている》。そんな危険な流れを丁寧な取材で裏付けていく。
『環境共同体としての日中韓』は、環境問題なら東アジアの協力関係が築けるのでは、という提案だ。でも日本側が環境問題に期待をかけても、中国ではエネルギーや経済分野の協力を望む声が圧倒的、というデータを最近目にした。ああここでもすれ違い、なのかもしれない。