携帯電話をもつようになってから、待ち合わせで会えないということがなくなった。インターネットを知ってから、それまではどうやって調べていいかわからなかったようなこと(例えば、昔のアニメソングの作詞者名など)が簡単に検索できるようになった。
便利だなと思う反面、いつでも連絡がつくことが不都合な場合もあるし、ネット上のやりとりがいったん悪い方に加速したら、もう自分の手には負えない。便利だけど不便、ありがたいけど怖い、そんな「ちりちり」した感覚が自分のなかにいつもあるようだ。
個人のコミュニケーションのレベルを超えて器から溢(あふ)れた言葉や情報は、どこへゆくのだろう。もともとは自分の口から出たり、手のなかにあった筈(はず)のそれらが、全く知らないところで知らない何かに変化してしまうように感じる。
『獣の夢』では、その「何か」が「獣」と名付けられている。
〈informationの流通とは人には扱えないものなのです。あれは……別の生き物ですよ。人の産み落とした、人には扱えない別の生き物〉
憎しみや欲望によって人が自分の手で他人を傷つけた牧歌的な世界の終焉(しゅうえん)を物語は告げている。ここに描かれているのは、透明の大きな「獣」がばりばりと人間を食い殺す世界である。そのなかでただひとり微笑(ほほえ)む「獣使い」の少女の眩(まぶ)しさが印象的だ。
『噂(うわさ)』では、口コミをつかった香水の販売戦略によって都市伝説化したひとつの噂が連続殺人を生み出す。主人公は犯人と戦うと同時に「獣」とも戦うことになる。そして犯人は捕まっても、かたちのない「獣」は捕まらない。この二重性が結末の鮮やかなどんでん返しを支えている。「衝撃のラスト一行」に驚いた。
『リトル・バイ・リトル』には、今や「獣」の「餌」になってしまった人間同士のコミュニケーションが丁寧に描かれている。
〈謝りながら駆け寄ると、周は雨粒だらけの顔を上げて笑った。彼の体に近づいただけで冷蔵庫の扉を開けたときのようだった〉
孤独な少女と少年のたどたどしい交流が、みえない「獣」の息づかいに充(み)ちた世界の中で、ひどく新鮮に感じられる。