国内初の変異型ヤコブ病患者が確認された。狂牛病(BSE)に由来する病だ。他方、アメリカ産牛肉の輸入再開に向けた動きが活発化している。
そこに一石を投じる、実に時宜を得た出版だ。各国の狂牛病対策を批判する著者の筆致には、気鋭の分子生物学者には相応(ふさわ)しからぬほど、熱気が漲(みなぎ)る。
だがあえて記すが、本書の真価は狂牛病問題という時務に関(かか)わる部分にはない。時事関連本として早晩片付けられるとすれば、知の宝の持ち腐れだ。
私達(たち)の心身観、生命認識に、コペルニクス的転回を迫る内容なのである。
例えば、読後「食べる」という行為のイメージが一変する。私達は、食事をエンジンに注ぎ込まれるガソリンのように見立てている。だが「食べる」ことは、分子以下のレヴェルでは、自らの体を少しずつ入れ換える行為に他ならない。
摂取されたタンパク質などは、消化作用で瞬時に分子レヴェル、さらにそれ以下に分解され、生体を構成する分子や原子と置き換えられる。「私たちの身体は数日間のうちに入れ換わっており、『実体』と呼べるものは何もない。そこにあるのは流れだけなのである」
この代謝メカニズムは、謎の死を遂げた生化学者、シェーンハイマーによって発見され、生体の「動的平衡」と名づけられた。循環する「流れ」の生化学だ。
第五章では何と「心」が主題となっている。体が流れなら、私の同一性を担保しているのは、心、それも記憶であるはずだ。では記憶は不変か。結論をいえば、それもまた「動的平衡」状態にある。つまり身も心も、一時も留(とど)まることのない流動そのものなのである。
著者はシェーンハイマーの分子論的身体像を一歩進め、情報論的身体像に読み替えていく。その視位からの臓器移植や遺伝子組み換えに対する批判は、生命倫理論争に新たな論点を付け加えている。
狂牛病の病原体もまた、この循環メカニズムに乗じて体内に侵入し、伝染した。生命の根幹の脆弱(ぜいじゃく)性を突く恐るべき病だ。しかも未解明の点が多い。だからこそ牛の全頭検査は継続されるべきなのだ。