いかに悪い出来事でも、何か一つは良いことをもたらすのだろうか。中東の混乱は世界の一大災厄だが、その災厄はこの地域への関心を高めている。一五年前にアメリカで公刊され、注目を集めた大作が翻訳されることになったのも、その表れだろう。
本書はアメリカ人歴史家が第一次世界大戦期の中東をめぐる国際情勢についてイギリスを軸として描き出した書物である。今日まで続く中東の混乱は、大戦中の欧米列強の政策、なかんずくイギリスのそれに起因するのであり、その誤算と失敗の数々が醒(さ)めた筆致で語られる。
アラブ人の反トルコ運動を強化するためにアラビア半島のフサインをアラブの指導者と認めたフサイン・マクマホン協定を結ぶ一方で、仏露と戦後の権益を分割したサイクス・ピコ・サゾノフ協定を結び、更にユダヤ人の支持を獲得するためにパレスチナへのユダヤ人植民を支援するバルフォア宣言を発した。第一次世界大戦が終わってみるとこれらの空証文の矛盾が噴出するのは当然だった。
本書から浮かび上がってくるのは、イギリスを始めとする当時の欧米人の中東地域に対する無知と傲(おご)りである。本国政府の関心は、戦況に有利なように現地社会を利用し、戦後の権益を獲得することであった。しかし専門家と称される人々すら、トルコの支配やイスラム社会の基本的知識を欠いており、できあがった政策はご都合主義的な判断の集積であった。「戦争を終えるための戦争」と宣伝された第一次世界大戦は、実は大戦前の「平和」を永遠に失わせた「和平」しかもたらさなかったというのが本書の皮肉なタイトルの由来である。
しかし本書はイギリスを始めとする狡猾(こうかつ)な外部世界が純朴な現地社会をだましたというような単純な善玉・悪玉像を描いてはいない。本書にはイギリスが「してやられた」エピソードも数多く含まれている。恐れるべきなのは外部世界が、この地域の奥深さを理解せずに介入し、自らの誤りと向き合おうとしない癖であり、それは今も続いていることなのである。