日本が戦争に敗れて植民地のすべてを失った時、公式なものだけで、台湾には68の、朝鮮には82の神社があったという。
「日本人のあるところ必ず神社あり、神社のあるところ亦(また)日本人があった」とは、戦前から海外での神社奉斎運動を精力的に展開したある神道家の繰り返し口にした言葉だが、そうした神社が「日本人社会が消えると同時に消えてしまうしかないものだった」という事実を、著者は冷徹に突きつけ、「日本の植民都市とは何だったのか、国家神道とは何だったのか」と問いかける。
この前者の問いを、本書は執拗(しつよう)に追求する。1901年創建の台湾神社と25年創建の朝鮮神宮を手掛かりに、失われた景観の復元を通して、神社を必要とした日本植民都市の特質が明らかになる。
日本人が新しい土地で都市を営もうとする時に、神社は不可欠なものであった。それも、道路や水道や官庁舎といったインフラが整備されたあとで登場するのではなく、同時進行で建設された。
とりわけ台湾神社と朝鮮神宮は植民地の全土を守護する「総鎮守」であったから、むしろ都市の建設と改造の根幹に深く関(かか)わるものであった。総督府を頂点とする官庁が行政を、神社が住民の教化や祭祀(さいし)を受け持つという補完関係にあり、それぞれの役割を演じるために、官庁地区は市街の中心に、神社境内は市街に面した山の稜線(りょうせん)上につくられた。
神威を表現するためには、見下ろし見上げられる視覚的な呼応関係が重視されたからだ。両地区を結ぶ目抜き通りは都市の基軸をなし、神社に隣接する山や森は「神苑(しんえん)」へと改造された。当然、在来の祭祀空間は変更を迫られる。本書の表紙は、ソウルの南山を強引に造成して建設された朝鮮神宮の姿にほかならない。
こうした植民地における神社は、しばしば支配と被支配の関係の中にとらえられ、厳しく断罪されてきたが、著者は冷静沈着に、まずはそれが何であり、何をもたらしたのかを解き明かすことに徹している。本書は博士論文にもとづくものだが、学術書の枠を越えて、その成果は一般読者にも届くに違いない。