朝日新聞の片隅に、毎月、美術雑誌「国華」の広告が出ることに読者はお気付きだろうか。それは豪華な月刊誌で、明治22年に始まり、今月でなんと第1313号になる。
その創刊に携わったのが本書の主人公岡倉天心である。「美術ハ国ノ精華ナリ」とする名高い「発刊ノ辞」を自ら書いた。すなわち、建設が始まったばかりの日本という近代国家に、誰もが目にできるような姿かたちを与えるものが美術にほかならないと主張する。
なるほど、その結果、現代のわれわれは、過去を近世・中世・古代へとどこまでもさかのぼって日本美術を思い浮かべることができる。
ただし、その考え方は、国粋主義へと容易に滑り寄る。昭和の日本が戦時体制を固めていたころ、さらに有名な言葉「アジアは一つ」(『東洋の理想』)によって、岡倉は大東亜共栄圏建設の理想を唱えた予言者として祀(まつ)り上げられた。
しかし、それは岡倉の与(あずか)り知らぬこと、「岡倉の発言と発想は<美術>から始まり<美術>に還(かえ)る」と指摘する著者は、その著作と丹念に向き合い、神話化された岡倉天心をいったん白紙に戻したうえで、実像に迫ろうとする。
その作業がどれほど丁寧で誠実なものであるかは、たとえば、岡倉覚三を天心と呼ぶことへの疑問に始まり、イメージの固定化を避けるための35枚の顔写真の提示、“The Ideals of the East”は複数形の原題を生かして『東洋の理想』よりも『東洋の理想態』と訳した方がよいという提案、東大での講義「泰東巧芸史」のメモ群に網の目のように引かれた線の解読などからうかがわれる。
いわば岡倉覚三と覚三没後に登場した岡倉天心とを峻別(しゅんべつ)する作業を続けた著者は、「岡倉の生涯は、<美術史>を書くために生きた一生だった」と結論する。しかも、それは、われわれが思い浮かべるような過去から現在へ一直線につながる単純な日本美術史ではなく、アジアの網の目の中に位置する日本美術史だった。
岡倉天心に学ぶことは多く、そのための最良の書をわれわれは手に入れた。