それは30歳の若者にとって「あまりに唐突な風景だった」という。
オホーツク海の寒風が絶えず吹きつける海辺にポツンと立つ鳥居。5年前の夏、バイクで旅した南サハリンの人口500人ほどの寒村ウズモーリエで、予期せぬ「戦前の日本」に出くわす。
この「祖国、日本の過去というものを初めて突きつけられた」体験は、かつての「大日本帝国の領土」に足跡を探し求める旅にと著者を駆り立てた。
ただし「重い過去」と向き合うにしては旅装はあくまで軽やかだ。今風のバックパッカーのそれで、時に足としてバイクやスクーターを駆使する。
韓国では領有権問題が再燃する「反日の聖地」の竹島を遊覧船で巡った。いまでも日本語を共通語とする台湾の山地民族の古老と語り、酷寒の旧ソ満国境では残留孤児と対面。最後に訪れたミクロネシアのテニアン島では、膨張しきった帝国の息の根を止める2個の原爆を投下したB29の発進基地に立つ。
かつての植民地、傀儡(かいらい)国家、信託統治領で、有形無形の「帝国の遺産」と、様々な形で過去を背負って生きる人々との出会い。そこには「『侵略』というたったひとことの言葉だけでは割り切ることのできないもの」があった。
「目に見える遺産」である鳥居や忠魂碑、和風建築に強いこだわりを見せる著者は、一方で各地の老人たちが口にする日本語や立ち居振る舞い、観念など「目に見えない遺産」にも目を見張る。
そして「植民地統治の是非については、これらの広大な地域で行われたことをひとまとめにして一元的な結論を出すことは、僕にはできない」と結ぶ。
それは「『靖国問題』『尖閣諸島や竹島などの領土問題』『歴史教科書問題』など……盛んに取り沙汰(ざ・た)される『わかりやすい』対日行動以外に、現地にはさまざまな『反日』や『親日』のカタチが存在している」からだという。
「過去に拘泥する必要はないが、過去を知る必要はある」という姿勢がバランスよく貫かれ、反日と親日のはざまを掘り起こしたルポである。