「四十日と四十夜のメルヘン」が新潮新人賞をとったすぐ後、選考委員の保坂和志さんから、「すごく面白いから読んで」というハガキが来た。保坂さんが保証しているのだから、面白いに違いないと思って読んだ。その時の感想は、というと、「すんげえ!」だった。
作者の青木淳悟さんは、次に「クレーターのほとりで」という作品を書き、その評判が伝わってきた。どうやら、傑作らしかった。しばらくたって、実際に読んでみたら、やっぱり傑作だった。
つまり、「すんげえ!」のと傑作の二本が収められているのがこの本で、お買い得というべきだろう……とこれだけでもう書くことはほとんどないのだが、内容についてもちょっと書いておこう。「四十日」のあらすじはというと、主人公の「わたし」は、チラシに、なぜか、七月四日から七日までの四日間の日記を繰り返し書いている。それは、おそらく、「わたし」の「小説の先生」の小説が、ある修道士の手記を下にして書かれたもので、しかも、その「先生」が、もともと七年分もある手記を、修道士の生活はまったく同じことの繰り返しなので、七日分の手記に書き換えるというとんでもない暴挙に出たことに深く影響されているからだ……。
違うな。もしかしたら、ぜんぜん違うかも。でも、この小説の、いちばんすごいところは、そこなのだ。
ふつうの小説は、あらすじを間違えずに説明できるのに、この小説では、説明しようとすると、必ず間違う。
人が生きるということ(これは「人が言葉を使うということ」に等しい)は、とてもとてもとても複雑でやっかいなことで、小説というものは、そのとてもとてもとても複雑でやっかいなことを、再現するために存在している。だから、小説というものは、あらすじなんか説明しようとしたって混乱して間違えるものの方が正しいのである。つまり、青木淳悟さんの小説には、「人生」が描かれているのだ。えっ? では、他の人の小説に書かれているものは何? たぶん、何にも書かれてないんじゃないですか。