学校生活の舞台である「学級」は、パック旅行やファストフード店のサービスと似ている? 一見、私たちの常識に反する発見が、本書の核心である。
こうした学級の特徴に注目するのはなぜか。教育が展開する学級という舞台(ハードウエア)の存在が、そこで行われる教育のあり方(ソフトウエア)を大きく枠づけており、それに気付かないほど、学級の存在が当たり前に受け入れられているからだ。そんな常識をとらえ直し、教育論に反省を迫る。そこに本書のねらいがある。
では、学級はパック旅行やファストフード店とどこが似ているというのか。この疑問に答えるために著者は、学級誕生の地、イギリス教育の歴史を繙(ひもと)く。
イギリスで最初のパック旅行が始まった19世紀半ば、どんな内容の教育を提供するのかをあらかじめ決めたシステムとして、学級の制度も完成し広まった。多くの子どもを一斉に教える上で、事前にさまざまな条件や内容を統制し、効率性を追求するしくみ=「事前制御」による教育である。ここに、近代とともに、学級制度が採り入れられた理由がある。マニュアル化されたファストフード店やパック旅行と似るのも、ともに「近代」という生みの親を持つからだ。
さらにそこに、生活重視の日本的特徴が加わる。教師と生徒、生徒同士の親密な交わりを「よい教育」とする教育観。さまざまな生活機能を抱え込み、多様な活動で膨れ上がる「定住の場」としての教室。個性尊重の児童中心主義や「心の教育」も上乗せされる。
だが、そもそも学級はファストフード店のように事前制御を念頭につくられた、融通の利かないハードウエアである。そこに、有名シェフのレストランばりに、個性的で高級なサービス(「生きる力」の教育?)を期待したらどうなるか。日本の教育論で見過ごされる論点である。
メリットもデメリットもある「近代」の宿痾(しゅくあ)を背負った学級とどう向き合うか。それを避けては、まともな教育論議はできない。その一歩先を見通すためにも手に取ってほしい一冊である。