オウム真理教事件については語り尽くされているようで、実のところ核心の部分はほとんど一般には知られていない。というのも、「麻原彰晃」こと松本智津夫被告を始め、教団中枢からの証言が皆無に近いせいで、麻原の側近中の側近だった著者による回顧録(実質は懺悔<ざんげ>録)は、その意味で貴重な証言に満ちている。
そもそもは、ヨーガのサークルに入るくらいの気持ちで、オウムに入会したのだった。ヨーガや瞑想(めいそう)により「本当の自分」を知りたいとの至極ありふれた動機からである。麻原の印象も、質素で品位ある「ヨーガの先生」という、いま私たちが彼に対して抱いているイメージとは対極のものであった。それがなぜ坂本弁護士一家殺害事件や地下鉄サリン事件を引き起こすまでに至ったのか。本書を繰り返し読んでもすっかり納得がいったわけではないが、現代の日本にオウムとまったく無関係と言い切れる人間は一人もいないだろうとは思った。
オウムには、誇張ではなく、人類が考えつづけてきた問題が詰め込まれているのである。自己とは何か、幸福とは何か、科学とは、組織とは、権力とは、そして信仰とは何か。ところが、オウムの手にかかると、こうした大テーマがことごとく薄っぺらで安っぽい代物に変じてしまう。一見「出家ごっこ」や「宗教戦争ごっこ」の足元に、底なしのニヒリズムが口を開けていて、ぞっとさせられるのだ。
たとえば、逮捕のおそれが迫った著者は、麻原の命令で「上祐」や「村井」と一緒に女装をして東北地方を逃げ回り、あちこちで「おかま」と呼ばれるのだが、こんなドタバタ喜劇の背後では、「ポア」という名の「慈悲殺人」(!)が繰り広げられている。共著者である川村邦光氏の言うオウムの「珍妙さ」や「稚気」は、この教団を考える際、見落としてはいけない要素であろう。
たまたま本書を一読中、ポール牧自殺の報を聞く。禅宗の家に生まれ、指パッチンで人気者になったのち、最近再び得度した彼のような人こそ、案外、オウムのニヒリズムを見極めていたかもしれないと、いまさらながら思う。