「国連改革」とは日本が常任理事国入りすることだ、と言わんばかりの軽躁(けいそう)な言説。中国や韓国など近隣諸国との外交戦略を欠いた「遠交近攻」まがいの票集め。最近この国をにぎわしている国連への構えや取り組みに、どこか違和感を覚えるのは評者だけではあるまい。
本書は、国連の今昔をわかりやすく解き明かしてくれる啓蒙(けいもう)の書である。しかし、いわゆる「国連改革」に関する記述はまったくといっていいほどない。
イラク戦争であからさまになった米と国連の相克、それが突きつけたこの平和機構の構造と限界こそが根本問題だとする著者の姿勢は、その意味で鮮明だ。主題は、そもそも多国間主義を原理とする国連と、単独行動主義のアメリカは共存できるのか。唯一の超軍事大国が、力でなく法の支配を目指す国際法や国連の秩序と折り合っていけるのか、である。
「アメリカ問題」の根深さは、前身国際連盟の創設に奔走した第28代大統領ウィルソンが、議会に批准を拒まれて加盟できなかったことに端的に現れる。国際連合もまた、当時の国務長官コーデル・ハルらの構想による米国の強い願望と意思で生まれたが、ヘゲモニーや行動が制約されることへの警戒心や反発にさらされ続けてきた。両者の関係はその時々で一様ではないが、著者は繰り返し「この国の中には多国間主義と折り合いの悪い何かがある」と嘆息をこめて書く。
終章のメッセージはこうだ。ウィルソンやハルも「戦争にとって代わる唯一の方法は国連を発展させることです」(61年9月の演説)と述べたケネディも米国が生んだ政治家だ。彼らはナイーブな多国間主義者ではないにせよ、「理念としての国連」を受け入れる「もう一つの米国」だった。こういう世界観をアメリカが取り戻せるかどうか——。
とはいえ、ブッシュ政権が、国連大使に国連批判の急先鋒(きゅうせんぽう)ボルトン国務次官を指名したことは、「米の下の多国間主義」を目論(もくろ)む意思表示でもあろう。「還暦」の祝年を迎えた国連は文字通り「本卦還(ほんけがえ)り」し、原点に戻って、その存在意義を再構築しなければなるまい。