昭和二十年代の末、島尾敏雄というひとりの作家に、ある不幸が訪れる。敏雄の不倫によって、妻ミホが狂気に陥ったのである。しかし、それ自体は、どこにでもある悲劇にすぎない。仮に、夫が、生き残った特攻隊長であり、妻が、その隊長に恋した、王族の血を引く南の島の娘であったという、物語のような恋愛で結びついたとしても、家庭を持ち、生活を始めてしまえば、結局のところ、人は同じ退屈なドラマを繰り返すしかないのである。
……というのは間違いなのだ。島尾敏雄とその妻ミホに限っては。
ミホは狂う、狂う、狂う。そして、幾夜も眠らず、夫を責める、責める、責める。けれど、すぐに反省し、何もかも一からやり直そうと思い、うまく行きそうになり、けれど、次の瞬間には、またすべてが元に戻り、狂い、狂い、狂うのである。
敏雄は、そのすべてを日記に書き込む。ちょっと待て。そんな余裕があったのか? いや、余裕がないからこそ、日記を書いたのだ。日記を書かなければ、死んでしまうと思ったから、書いたのだ。
「ぼくは絶望し死の旅の方へ出かけるそぶりが出る。するとミホは狂乱する。赤土の崖(がけ)の山の方に走り出す。つれ戻しに山に登る。風の中で家の屋敷が見下ろせる。遠く小さく伸三とマヤが手をつないで門を出たりはいったりしている。子供らへの思い込み上げる……。」
これでは小説も書けない。仕事もできない。だから、日記を書く。なにがわかるか。家に「不気味なもの」がいることがわかる。それは、言葉も届かず、自分の力ではどうすることもできないものだ。だとするなら、それは死者のようものではないか。ああ神さま。いままで、ぼくは、小説なんて、自分の言葉の届く範囲で書けばいいと思っていました。思い上がっていました。すいません。あんなもの、小説なんかじゃなかった。ほんとうに書くべきなのは、その「不気味なもの」なのだ。その「不気味なもの」を作ってしまったぼくには、それを書く義務があるのだ。
敏雄は、この日記と体験をもとにして、戦後文学最高の作品『死の棘(とげ)』(埴谷雄高の『死霊』や大西巨人の『神聖喜劇』や武田泰淳の『富士』を差し置いても、ぼくはこれを第一位に選ぶだろう)を書くにいたる。しかしそれは後の話だ。
この本の中には、「至上」の苦しみが充満している。それにも関(かか)わらず、読後感が明るいのは、敏雄が最後まで妻であるミホと向かい合おうとしたからだ。狂ったミホは、死者(他者)となった。死者(他者)を取り戻すには、その死者(他者)と向かい合うしか方法はなかったのだ。そして、通常、我々は、そのような行いのことを「愛」と呼ぶのである。