仏教を説く人は多い。が、真の実践をしてきた人はどれほどいるだろうか。著者は「行動する仏教」で高名なベトナムの禅僧だ。共産/非共産と、国を二分する戦争のさなか、悲惨な状態の村人を救うべく医療、教育、生活などを援助するボランティア団体を立ち上げた。ところが、両陣営から敵の活動と誤解され、多くの仲間を虐殺された。
その中にあってなお、非暴力と哀れみを叫ぶ彼の言葉は、悲痛でさえある。
たとえ彼らが
山ほどの憎しみと暴力で
あなたを打ち倒しても
たとえ彼らがあなたを虫けらのように
踏みつけ、踏みつぶしても
たとえ彼らがあなたの手足を切りとり、はらわたを抜いても
忘れないでください、兄弟よ
忘れないでください
人はあなたの敵ではないと……
本書は、しかしながら、そういう極限状態の記述はほんの僅(わず)かであり、一般の市民の人生を豊かにする方法論に満ちあふれている。まず、あらゆる人の心の中に、仏性とともに、怒りや恐怖や憎しみの種子があり、それを肯定するところから非暴力の実践がはじまると説く。
「自分の中の野獣は殺せませんし、また、殺そうとするべきでもありません」
泥(自分の中の否定的な部分)があるからこそ、蓮(はす)(仏性)が花開くのであり、要はいかに泥と付き合うかにある。そのための方法論として(1)意識的な呼吸(2)意識的な歩行(3)瞑想(めいそう)、を勧めている。
それらを実行していない文明人は、皆走っているという。「一歩踏み出すごとに、あなたは現在の瞬間に到達します。それだけで現在に到達するのですから、なぜ走る必要があるでしょう?」
この言葉の深い意味がわからなかったら、上記(1)〜(3)を実行し、再度味わってほしい。本書の本当の深さは、実践をしないと心に落ちないだろう。
世界中のすべての指導者、戦闘的な平和運動家や環境運動家に読んでほしい。まず、自分の心の平和がつちかわれない限り、よりよい社会は望むべくもない。