オタク論が盛況だ。オタクという生き方の定着や成熟を暗示するかのように。
だが上辺の賑(にぎ)わいの割に、オタクの本質を考察する本や論考は数少ない。
気鋭の社会哲学者の手になる本書は、本格SFこそオタクの精神の原点と捉(とら)えその「遺伝子」を最も濃厚に受け継ぐマンガ家、長谷川裕一の作品世界を論じながら、オタクの可能性を探り当てようとする試みだ。
オタクとは、人工世界を虚構し、そこに立て籠(こも)る者という悪評がある。かかる非難は、虚構世界とは何も生み出さない思考の袋小路であり、それに耽溺(たんでき)することは現実逃避に過ぎない、という前提に立っている。
稲葉はこの前提を疑う。 虚構世界もまた現実の一部であり、「そのようなものとしてまさしく」現実世界を変えていく力に他ならぬ、というのである。ここに、オタクがオタクのままで現実にコミットする経路が開かれている。
傍論ながら、胸の透くほど正確な仏教観も示されている。