今日では忘れられかけているが、20世紀のかなりの期間、西洋に対抗してアジアとの連帯を訴える「アジア主義」は日本人を動かす理念として軽視できない力をもっていた。
ある意味でその理念の強さを最も純粋に示しているエピソードが、本書の主人公インド人ナショナリスト、ラース・ビハーリー・ボースが第1次世界大戦期にイギリス支配を逃れて来日し、新宿の中村屋に助けられた経緯であろう。中村屋の主人夫婦は当時、同盟国だったイギリスとの誼(よしみ)からインド独立運動に冷淡だった政府の姿勢に対する純粋な怒りと、ボースに対する同情から、大きな危険を冒してボースを匿(かくま)い、その娘もまた進んでボースと結婚したのである。
しかしアジア主義的連帯は心情レベルでは成立し得ても、現実の秩序を変革し、新たな秩序を構築する体系的な思想にまで昇華することはできなかった。日本のアジア主義者の大半は日本の基準によってしかアジアを理解しなかったし、アジア主義者と連帯を求めたボースや中国の孫文らも、本質的にはアジア全体の解放よりも自民族の解放を願うナショナリストだった。
やがて日本政府がアジア主義的主張を掲げて帝国の支配圏を拡大する政策に出始めると、アジア主義は心情の純粋さも思想としての力強さも失っていく。一時期は日本への批判を交えつつアジアの解放を訴えたボースの言論も、次第に日本を弁護する色彩を強めることになった。ついには日本の代弁者と見なされてインド人ナショナリストに対する影響力を失い、インドの独立を見ることなく、太平洋戦争末期に失意のうちに世を去った。
若い学究の手になる本書は、ボースの生涯を清新な文体で追うことで、アジア主義の美しさと限界を描いて余すところがない。明治初期にイギリスから輸入された「カレー」に対抗する気概を込めてボースが作った「インドカリー」は、中村屋の看板商品として今も残る。その軌跡は、大正期のロマンチックなアジア主義が現代のエスニック趣味へと変容する物語を象徴している。