二、三年ほど前、「中国脅威論」(経済的な意味での)が高まったとき、著者は中国と日本は経済的には競争と言うより、補完の関係にあると言う冷静な議論をリードした。それから中国における「政治経済的リスク」が耳目を集める時となったが、著者は今どう考えているか。十分な期待をもって本書を読んで良い。
国有企業、銀行制度、マクロ政策において生じつつある困難を分析しつつ、それらはもはや通常の経済政策の処方によっては解決され得ない段階に達したと著者は判断する。問題は政治権力と市場の未分化によって生じているからである。
いかなる経済交換も、約束したものを配達する、それに対して対価を払う、と言う約束事、契約からなる。商品交換の未熟な段階では、契約は当事者たちのあいだの信用によって守られうるが、交換の範囲が広がるには、契約の実行と所有権の保護を保障するインパーソナル(非私的)なメカニズムが必要となる。
そういう第三者的なメカニズムの候補者が国家であるが、政府が契約や所有権を強制する独占力を持つことは、逆に政府が恣意(しい)的な課税などをつうじて私人の所有権を侵害する潜在力を持つことでもある。この「政治経済の根本的ジレンマ」を解くには、政治権力に対する私人たちの民主的なコントロールによって可能となる中立的な法治が、市場と補完的に共進化しなければならないだろう。
だが一党支配の下で市場経済を発達させた中国では、契約上の紛争処理や国家財産の私有化において政治的権力やコネがものをいい、市場の見かけの発展にもかかわらず、不公平性、腐敗が顕著となる。かくして法治を求める民主派と、不公平性の咎(とが)めを私有化(市場化)に帰す守旧的な「新左派」の間の論争が激化した。
この論争や最近の制度分析の理論的成果をふまえ、市場経済の一層の発展には政治の民主化と法治が避けられない、だがそれには政治指導者の世代交代が必要だろう、と著者は論じる。たしかに愛国無罪の主張は中立的な法治の思想に背馳(はいち)するだけに、市場経済の発展には資さないだろう。